ケンミジンコのうた

平和な日々の暮らしを綴った日記です

私がFacebookをやらない理由

2013-08-30 19:30:07 | 雑感
先日もそうだったのですが、
久し振りに知人に会うと、大抵、Facebookの話になります。
勧める人、やってみたけど止めた人、
色々ですが、
私は、いくら勧められても、Facebookを始めるつもりはありません。

理由1 飽きた。

むかしむかし、私が社会人になりたてのころ、
ようやくパソコンが一家に一台、普及するようになって
若人が皆、インターネットに夢中になっていたころの話。

私は「ニフティーサーブ」で提供される
「フレンドファインダー」というサービスに
はまっておりまして。

詳細は省きますが、色々な出会いがありましたよ。

ポストペットでも随分遊んだなあ。
色々な人とペットを行き来させて、楽しかった。

Facebookは、これらのサービスとは、全く違うと思いますよ。
でも、ネットを駆使して、人とのつながりを構築していくという発想は
共通ではないかと。

そういう遊びは、もう、やりつくした感がありまして。

理由2 面倒。

よく知らんけど、人の日記を読んだり、写真を見たりして、
「いいね」ボタンを押したりせにゃならんのでしょ。

また、自分の日記や写真に、「いいね」ボタンが押されてないと
寂しくなったりするんでしょ。

そういうの、面倒でして。

他人の人生に興味ないしね。
幸せな写真なんて、敢えて見ようと思わんわ。

理由3 「友達の数」

今日の夕刊によれば、Facebookを使った就職活動が盛んなんですと。
企業側も、就活生のページを見て人となりを調査するらしく、
「友達の数」や「書き込み内容の前向き度」等を参考にするらしい。

で、就活生もそれを意識して、
Facebookでは「見せたい自分」を演出するとか。

はあ・・・。そんなことして、楽しいかい?
いやいや、就職するために必死なのかもしれないけど、
自分の外見どころか内面までも装って、虚しくならないかい?

私だったら、そんな活動、ごめんだな。
今の若い人たちは、大変だね。

理由4 本音が書けない

実名で色々な人の閲覧にさらされるなら、
当たり障りのないことしか書けないし、
そんなつまらない媒体、私には不要だわ。

理由5 つながりたい人とは既につながっている

仲良くしたい人、大切にしたい人とは、
ネットがなくても、つながっていられます。

そうでない人たちとは、自然にフェードアウトになります。
この距離感が、ちょうどいい。

また、Facebookで検索しても出てこないレア感(?)、
隠遁者っぽい自分も、
気に入っているかも。
私は世の片隅で
人知れずひっそり咲く花なのさ。

・・・ざっと、こんなとこかな。
今まで一度も興味を持ったことはないし、
どんなに人から勧められても、
今後、始めることはないでしょう。


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私は強い

2013-08-29 21:24:10 | 雑感
自殺した知人のことが今日も頭から離れません。

これまで、自分の周りで、
自殺という不幸な選択をした知人は、4人います。
特別に親しい知人ではないけれど、
いずれも同期やクラスメートで、
年賀状をもらえるくらいの関係でした。

その4人には、共通点があります。

明るく、性格がよかった。
優秀で、容姿も優れていて、皆の人気者だった。
死の影からは最も遠いところにいるような人でした。

人生って、分からないもんです。

大変失礼な言い方ですが、
暗くて、人望もなく、ひっそりと地味な人が自殺をしたと聞いたら、
とてもショックではあるけれど、
どこかで納得できるところもあると思うんです。

ここまで書くと過度に自虐的かもしれないけど、
おそらく、私が死んだとしても、
学生時代の暗い私を知っている人は、
そう驚かないのではないかと・・・。

亡くなった4人はみな、容姿も優れていて(←個人的にはここが最も意外)
いつも人の輪の中心にいて、
明るく希望に満ちた光の中にいたように見えたことです。

私が日の当たらないじめじめした場所をずっと歩んできたのに対し、
彼らは輝かしい光の中にいたのです。
少なくとも私にはそう見えていたんです。

でも、最も悲しい選択をせざるを得なかった。

限られた情報の中で考えたことではありますが、
彼らは、光の中を歩んできた分、
もしかしたら、逆境に弱かったのかもしれない。

暗い道を歩んできた自分は、
知らず知らずのうちに、強くなっていたのかもしれない。
人が自分に関心を持ってくれないこと、
自分がいつも人の輪の中心から外れたところにいること、
人生の早い段階から、自分にとって不都合な事実を思い知っていた私は、
辛い状況に慣れっこだったので、
持ちこたえられたのかもしれない。

自分の存在理由を常に自問自答せざるを得ないような
暗い道を歩き続けてきたからこそ、
私は、自分と関わりを持ってくれる数少ない友人を大切にしてきたし、
そこから自分の立ち位置を、着実に固めてきました。

辛かった私の人生の前半にも、
きちんと意味はあったんだ。

私は強い。
生まれてはじめて、そう思いました。


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私の小さな幸せ

2013-08-28 19:09:11 | 雑感
久し振りに、前の勤務先の同期に会いました。
色々とお話をして、楽しい時間を過ごしました。

私は退職してすっかり業界から遠のいているのですが
成功している人、辛い道のりを歩んでいる人、
色々な人の話を聞きました。

この歳になると、成功している人とそうでない人、
明暗がはっきりしてくると感じました。
進路に行き詰って競争から降りてしまった自分は、
もちろん後者な訳ですが。

友達も華やかなポジションを維持しているクチで、
夏休みは夫婦二人でヨーロッパに旅行に行ったそうです。
ビジネスクラスで・・・。

いいなあ・・・
ビジネスクラスで海外・・・
うらやましいよぅ~~~

お金ほすぃ~~~

暗い気持ちになりかけたのですが
話の後半で、亡くなった同期の話になりました。
仕事を頑張りすぎて、鬱病になって、
自殺してしまった人が、同期で3人もいるというのです。

そのうち一人は、私もよく知っていた人で、
衝撃を受けました。
とても明るくて、爽やかで、皆の人気者で、
死の影など、微塵も感じさせない人でした。

過酷な職場で追い詰められた挙句、
仲間外れにされていたそうです。
信じられませんでした。

事情をよく知らないので、軽々しい判断はしてはいけないのですが、
この3人は、仕事が辛くても、立ち向かおうとして、
自分を追い込んでしまったのではないでしょうか・・・。

私は、さっさと降りました。
逃げました。

でもその結果、幸せなんです。
平凡で、目立たず、地味だけど、
ビジネスクラスで海外には行けないけど(←僻み?)
優しい夫がいて、心穏やかに暮らして、幸せです。

輝かしい道を進んでいく同期の話を聞くにつけ、
自分はほんとダメだなあ~って思ってきたけど、
私は、自分にとっての幸せは何か、よく分かっていたと思うし、
ためらわずにそれを選んだ点で、
意外と賢いかもしれない!と思いました。

亡くなった人の話を聞いて、自分の幸せを再確認する、というのは
とても不謹慎かもしれません。
でも、等身大の幸せを、大切にしよう。
そう思いました。

ご冥福をお祈りします。


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明日の光をつかめ 2013夏(2)

2013-08-28 18:39:03 | 映画・ドラマ・小説
最近、ちょっとマンネリ気味かな~と感じ
録画がたまっていたのですが
先日、久しぶりに見て涙しました。

おっちゃんが、浩樹の父親に対し
浩樹を養子にして、自分が親権者になる!と
啖呵を切るシーン。

ドラマを見ていない方にとっては説明が不十分かもしれませんが、
このシーンは、私が常々考えていたことに
明快な答えを提示してくれました。

例えば、生徒思いの学校の先生がいるとして、
その生徒の家庭に問題があり、
どうしても家に住めなくなった場合。
先生は、生徒を自宅に引き取るのだろうか?

「いつでも力になってやる」という言葉を口にするのは簡単だけど、
どこまで、その子の人生を引き受けなければいけないんだろう?
どこで線引きをしたらいいんだろう?

学校の先生ではないけれど、日々、子供たちに接していて
自分なりに愛情は注いでいるつもりなんだけど、
私はどこまでこの子達の世話をするべきなんだろうと、
漠然と考えていました。

今のところ、それほど信頼されていないこともあり(?)
切羽詰まった事態には遭遇していないのですが
仮にそういう事態が発生した場合、
どこまでその子のためになってあげられるかというテーマは
ずっと自分の中にありました。

浩樹を養子にする、自分が親父になる、というおっちゃんの選択は
浩樹の人生を丸々引き受けてやる、という意思表明だったわけで、
私は、ああ、やはりそうか、
そこまでやるのが愛だよなと、思い知ったのでした。

いつもはクールな浩樹も、さすがに泣いて感謝していました。
ここまで言ってくれたら、そりゃ嬉しいよね。
まあ、ドラマだけど。

実際の人生で、相手を丸々受け入れる行為って、
親子と結婚の二つだと思います。
相手と自分、同じ舟に乗って、
人生という海を一緒に渡っていく。
そう考えると、結婚というのは、
とても大胆で、勇気のいることだと思えてきます。

「ある愛の詩」では「愛とは決して後悔しないこと」と言っていたけれど
私は、「愛とは全てを引き受けること」
だと思うな。


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女子トイレに思う

2013-08-12 15:57:17 | 雑感
ショッピングセンターで、
駅で、デパートで、
高速道路のサービスエリアで、
その他諸々の場所で、
いつも思うことなんですけど・・・

女子トイレって、どうしてこんなに混むんでしょうか?

女子トイレ、男子トイレ、両方あるのに
長い行列を作っているのは
決まって女子トイレのほう。

先日、長岡市の花火大会を見に行ったのですが
トイレを待つサービスエリアの行列が
すさまじくて・・・
横に6列に並んで待つのですが
交通の邪魔にならないように
整理員が数人いました。
並び始めてから用を足すまで、50分かかりました。
この行列も女性だけで、男性は全然、並んでないの。

どうして男女でこんなに差が出るのか?
トイレが個室になるだけで、そこで過ごす時間に差が出るのか?

行列に加わるたびに、時間がもったいないなあと思います。

最近できた新しいショッピングセンターやデパートだと、
明らかにトイレの個数が少ないと思うときがあります。
レストラン街で、ある程度の使用頻度が予想される(?)のに、
トイレが2つしかないとか。
当然、行列になります。

施設者側としては、利益を生まない
(水や紙代でむしろ損になる)
トイレの面積や設置数は、
できるだけ少なくしたいという思惑があるのでは。
なので、不況時にできた施設ほど、
トイレの数が少ないに違いないと邪推しています。

トイレの個数を増やすのがいちばんと思うけど、
それが叶わないなら、
いっそのこと、トイレを男女一緒にしたらどうでしょう?
痴漢の被害が増えるかな?
行列をしていない男性側が嫌がるかな?

あるいは、「切迫していないけど、一応行っておこうかな」
という気持ちで並んでいる女性が多いのでは。
「トイレに行くのは
切迫しているときに限る」
というのが、公衆トイレ使用のマナーになったら、
少しは行列は減るかな?
緊急度別に使うトイレを変えるとか
(名付けて「トイレトリアージ」)

行列が長いときは
男性トイレも女性用に開放するとか。

・・・なんでもいいので、
誰か、女子トイレの行列の解消に
真剣に取り組んでくれないかなあ?
いい研究材料になると思うんだけどなあ。

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