ケンミジンコのうた

平和な日々の暮らしを綴った日記です

ほんとうの春

2017-03-28 10:56:56 | 雑感
このブログを始めたのは、仕事を辞めてしばらく経ったころで、
何か新しいことをやりたいと思いつつ、その方向が分からず、
色々と手を出しては引っ込めるという模索を繰り返していました。

仕事を辞め、主婦になるという選択を一旦はしたものの、
それは一時的なもので、
いずれはまた新しい形で社会に出ようと考えていました。

このため、私は自分のブログに「さなぎのひとりごと」という名前をつけました。
今の自分は、次の自分に変化するまでの、さなぎの状態。
ゆっくり休んで、たっぷり栄養をとって、
じっくり夢を見て、勇気をためよう。

塾に勤めてみたり、小学校で働いたり、
そしてまた家にこもったりしながら、
私は自分の進む方向を探していました。

そしてようやく、カウンセラーという、
自分が心からやりたいと思う仕事を見つけることができました。

私は、さなぎの状態を終え、次の段階に臨む準備ができました。
勇気をもって、自分が決めた新しい道に進みたいと思います。

これから先も、楽しいことばかりではなく、
悩んだり苦しんだりすることが多くあるに違いありません。
人生は楽しいことと苦しいことの繰り返しです。

でも、私は、自分を信じて、前に進んで行くつもりです。

今日の記事をもちまして、「さなぎのひとりごと」のブログは、
卒業とさせていただきます。
このブログを訪れてくださった皆様、
辛いとき、苦しいときに、温かい励ましの言葉をくださった皆様、
本当にありがとうございました。

私はようやく、さなぎから脱け出すことができたようです。


                  

「さなぎのひとりごと」は終了しますが、
題名を変えて、ブログは継続するつもりです。

皆様、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます

さなぎが羽化して何になったのか、お楽しみ(?)に・・・。



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私に勇気をくれる人

2017-03-21 07:34:41 | 
近所の公園に、文鳥の死骸が捨てられていた。
ガーゼに包まれ、傍に餌も置かれているので、
飼われていた文鳥なのだと思う。
葬り方を知らない子供が、そのまま土の上に置いたのかもしれない。
いつか親が見つけて、埋めてくれることを期待していた。

ところが、文鳥はずっとそのままだった。
ガーゼもはだけて死骸がむき出しになっている。
天気の悪い日は全身が冷たい雨に打たれていた。
自分の死骸を惨めな姿で晒し続けなければならない文鳥を
私は気の毒に思った。

何度も、自分が埋めてあげようと思った。
でも、不審者に見られたらどうしよう、
自分の文鳥だと誤解されたらどうしよう。
なかなか勇気が出なかった。

私は思い切って夫に事情を話して、
一緒に公園までついてきてもらった。
そして、手早く公園の端に穴を掘って、
放置されていた文鳥を埋めた。

作業はあっけなく終わった。
心配していたことは何も起こらなかった。
そして、私は、ガーゼの中に、
枯れた小さな花が一緒に包まれていたことに気付き、
心が少し温かくなった。

私は晴れやかな気持ちで帰路についた。
夫は作業をする私の脇に黙って立っていただけだが、
私に不思議な力を与えてくれた。

夫が見守っていてくれたから、
私は私らしく振る舞う勇気を持つことができた。

自分らしく生きるのには、
人の支えも必要なのかもしれない。




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勉強は山登り

2017-03-16 12:39:32 | お勉強
合格の知らせを受け取ってからは、のんびり好きなことをして暮らしてきたが
そろそろまた勉強を再開しようという気になってきた。

特に苦手な統計は、春休みのうちに少しでも理解を深めておきたいところだ。

でも、なかなかやる気になれない。
遊んでいる方が楽だから。

勉強は、山登りに似ていると思う。

コツコツ、歩みを重ねていく必要があり、心身に負荷がかかる。
でも、苦労して進んだ分だけ、見える景色も変わってくるし、
大きな達成感が得られることもある。

山に登るか登らないかは個人の自由なんだけど、
心身に適度な負荷をかけることで自分が鍛えられるように感じるし
人生に手ごたえが出てくるように思うので
自分のペースで登ろうと思っている。

学生のころは、崖にしがみつくような危険な山登りもしたけれど、
人生、半ばを迎えた今は、
ゆっくり、周りの風景を楽しみながらの山登りにしたいなと思う。

勉強は、自分の幸せのため。
楽しみながら勉強ができたらいいな。



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原点に戻る

2017-03-13 07:50:42 | 雑感
週末に、たまたま私が大学生の頃に住んでいた街に立ち寄る機会があった。
時間があったので、私が住んでいた家を見に行ってみた。

当時は新しかったけれど、もう20年以上が経っている。
きっと私の記憶よりずっと古びているだろうなと想像した。

坂を上って、角から2番目。
私が住んでいた家があった。
今は別の家族が住んでいるが、手入れが行き届いているためか、
見た目は20年前とほとんど変わらなかった。

記憶のままの、綺麗な家でいてくれたのは驚きであり、嬉しかった。

付近を歩いていると、昔、よく行ったレストランを見つけた。
懐かしくなって、中に入ってお食事をした。
「このお店に来たのは20年ぶりなんですよ」と言うと、
お店の人は驚いていた。

20年経った街は、変わったところもあり、昔のままのところもあった。
私は自然と、大学生のころの自分を思い出していた。
進路を選択する前の自分。分岐する前の自分。
私は原点に戻ったんだ、そう感じた。

ここからもう一度、新しい道を歩んで行こう。
今日、そのために、私はこの街に来たんだ。

懐かしい風景に、そっと背中を押された気がした。



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笑顔の店員さん

2017-03-06 12:57:50 | 雑感
先日、ショッピングモールに行った際に、
かわいい靴を見つけたので、試着してみることにした。

店員さんは、若くて笑顔が素敵な女性の方で、
にこやかに対応してくれた。

私が試着した靴は、少し大きかったので、
私はワンサイズ小さい靴をお願いしたが、
その店員さんは、同じデザインの、別の色の靴を持ってきた。

私が欲しかったのは茶色の靴だったのだが、
店員さんが持ってきたのは、若草色の靴だったのだ。

まあ、試してみたかったサイズは同じなので、
私は若草色の靴を試着した。
ワンサイズ小さくしたので、ぴったりだった。

「このサイズでいいと思います。
このサイズの、茶色の靴をいただけますか?」
と私は店員さんにお願いした。

すると、店員さんは一旦、裏に引っ込んでから、
「ごめんなさい。茶色でそのサイズは、もうないんです。
若草色のものだったらあるんですが・・・。
この春の限定色です。いかがですか?」
と言って出てきた。

店員さんの感じがよかったので、私はできれば買ってあげたいと思ったけれど、
若草色は使いにくいかなと思って、お断りした。

そして、何も買わずにお店を出た。
笑顔で接してくれた店員さんに申し訳ないと思いながら。

でも、一連のやりとりを横で見ていた夫が、こう言った。

「さっきの店員さんは、最初から、茶色い靴の在庫がないことは分かっていたんだよ。
だから、さなぎに若草色の靴を履かせて、
そっちを売ろうとしてたんだ。」

私は軽いショックを受けた。
店員さんはにこやかで、丁寧で親切で、
親身になって接客をしてくれたように感じていた。

でも、したたかな商売っ気もあったのだ。

もし、私が望む色の在庫がないことが分かっていたら、
始めからそう言って欲しかった。
その上で、若草色の靴を薦めてくれたらよかったのに・・・。

初対面の店員さんに、そこまで求める理由はないと思う。
彼女の仕事は、一足でも多く靴を売ることだ。
気持ちよく試着をさせてくれたことに、むしろ感謝したい。

でも・・・私は、
「笑顔で物腰が柔らかい人が、優しく誠実であるとは限らない」という、
私の人生訓に、一つ新たな例を加えることになった。

きっとその逆、
「ぶっきらぼうで感じの悪い人が、心冷たいとは限らない」
これが成り立つこともあるんだと思う。

人間って、本当に難しい!!



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