我が強くて嫌われている人が職場にいる。話が通じない、モンスターのような人である。
先日、そのモンスターが上司に話しかけていた。上司は露骨に嫌そうな顔をしていて、私は「ああ、さすがの上司も嫌悪感を隠しきれてないわ」と思った。
翌日、モンスターが私に「昨日の上司はものすごく疲れていたわねぇ」と話しかけてきた。私は上司が疲れているという認識はなかったので違和感があった。そして、もしかしたらこのモンスターは、昨日の上司の自分に対する態度について、嫌悪感ではなく、本人の疲れと認識したのかもしれないと思った。
私は常々、これだけ周りに嫌われているのに、それを感じ取らずに堂々と振る舞えるモンスターの強メンタルが不思議だったが、メンタルが強いというより、自分が嫌われているという発想がそもそもない(アンテナが壊れている)ということが分かった。
他者の自分に対する拒否感や嫌悪感を当人の疲れとして処理していたら、自分は思い悩まず健康でいられる。
他人の反応を誤解して悩まずに生きるのと、正しく認識して思い煩うのと、どちらがいいのかな…。
もし選べるならどちらだろうと考えたが、私は、多少苦しくても、正しく認識できた方がいいなと思った。相手の反応が正しくキャッチできたら、自分の行いを正したり、より自分に合った環境に移ったりすることができるからだ。
少なくとも私は、自分が周りに嫌われていることを自覚できずに、豪胆に振る舞い続ける人間にはなれないと思った。