goo blog サービス終了のお知らせ 

ケンミジンコのうた

平和な日々の暮らしを綴った日記です

人の気持ちは分からない

2021-04-05 | 仕事
少し前の記事で(→「時間薬」
嫌な人がいても、対立せずにうまく受け流していたら
そのうち関係が好転することもある、ということを書いたのですが
そのことで、少し驚くことがあったので書き留めておきたいと思います。

私は3月末で、掛け持ちしている一つの職場を辞めたのですが
(1年契約だったので)
その際、前の記事で書いた、苦手と思っていた男性の一人から
個別でお餞別の品をいただきました。
お洒落なお店の、フルーツティーでした。

私はその男性から嫌われていると思っていたので、心底、驚きました。
「ミジンコさんはコーヒーより紅茶が好きだと伺ったので
紅茶にしました」
と言われましたが、私、そんなこと言ったっけな??
(でも確かに紅茶の方が好きなので、言ったかもしれない)
ものすごく嬉しかったのですが、それと同じくらい、
驚きと戸惑いの気持ちもありました。

嫌われている、疎んじられていると思っていたのに・・・
まあ、少なくとも、嫌われてはいなかったのだろう・・・

何となくいただいた紅茶もそのままになっていたのですが
昨日、開封して飲んでみました。
フルーツの香りが漂って、とてもおいしいお茶でした。

紅茶をくれたBさん、ぶっきらぼうに見えて感じが悪かったけど
実は不器用なところもあったのかな?
私が私の視点で被害的にとらえてしまったけれど
Bさん、不器用で損をしてしまうところもあったのかもしれないね。

Bさんに対して抱いていたわだかまりが
フルーツの香りにじんわり溶けていくようでした。

私、ずいぶん長い間生きてきて、色々分かっていたつもりでいたけど、
まだまだ、人の気持ち、分かってないのかもしれないな。

人の気持ちは複雑で難しい。
一面だけを見て、決めつけてしまうのはもったいないな。
改めてそんなことを感じました。

にほんブログ村


二人目はうまくいくの法則

2021-01-10 | 仕事
最近、ちょっと気付いたことがあるので、書き留めておこうと思います。

仕事で、例えば誰かがAさんを担当したとして、
AさんとうまくいかずにAさんが怒ってしまい、
次の人を指名した場合、
指名された二人目とAさんは(少なくとも最初は)うまくいく、ということが多いように思います。

私がある人とカウンセリングをしたが、うまくいかなかった。
そこで、選手交代で、私の代わりに先輩がカウンセリングをしたら、
今度はうまくいった。

これまた逆で、先輩がある人のカウンセリングをやっていて、
うまくいかず、選手交代で私がその人を担当した結果、
とりあえずはうまく収まった。

カウンセリングに限らず、こういうことはよくあるように思います。

共通しているのは、トラブったお客さんが、
「最初の人が悪い」と、二番目の人に被害を訴えることです。
最初の人を悪者に仕立て、自分が被害者のポジションを取れば、
トラブルの責任を、自分が引き受けなくて済むからです。

私はこれを「二人目はうまくいくの法則」と名付けました。

本当は自分自身がトラブルメーカーなのに、
関係破綻の原因を相手になすりつけることで、
自分を正当化しようとする心理です。
二人目と再びトラブルになってしまっては、この作戦が成り立たなくなるため、
二人目とは、とりあえずはうまくいく体をとる必要があるのです。
「ほらね、最初の人が悪かったのよ」という風に収めたいのです。

この法則を使うのは、ずるい人です。
ずるい人に、必要以上に悩まされることのないように。

そして、自分が二人目になったときは、
「二人目はうまくいくの法則」に乗せられただけで、
間違えても一人目の人を軽んじることのないように。
自分はたまたま二人目になっただけなのだから。

最近、自分が一人目にも二人目にもなる経験をしたため、
この法則に気付きました。
何か気付いたらまた書くことにします。

にほんブログ村

時間薬

2020-12-25 | 仕事
少し前に、職場に苦手な人がいると書いたのですが
(過去の記事はこちら→「衝突しない」
衝突せずにニュートラルな態度で接し続けた結果、
今では気持ちよくやりとりができるようになり、
自分でも驚いています。

ケース1 年配の女性Aさん
 上司でもないのに人を見下した態度で色々と指示してきて腹が立っていたが、最近は気持ちが悪いほど低姿勢になり、丁寧に接してくれるようになった。

ケース2 30代男性のBさん
 若い女の子にはデレデレしているくせに、私が話しかけても塩対応でけしからんと思っていたが、10か月ほど経った今は(←時間がかかった)、これもやけに低姿勢で気持ちよく接してくれるようになった。

ケース3 20代男性のCさん
 上司にはヘコヘコ胡麻をするのに、下っ端の私に対する態度が尊大でけしからんと思っていたが、先日、仕事で困っているときに助けてもらい、いいとこあるやんと思った。

ケース4 40代男性のDさん
 同年代だろと思って積極的に話しかけていたのに、塩対応でけしからんと思っていたが、最近は、一対一で話しかけてくることはないものの、何人か人がいるときは、話を振ってくるようになってきた。

ケース5 40代だけど心は20代の新人Mさん
 人の話の輪に加われないと悩んでいたが、少しずつ心が打ちとけ、輪の中には未だに飛び込んでいけないものの、輪の外から楽しんで話に耳を傾けることができるようになった。相手が一人でいるときは、気軽に話しかけられるようになってきた。
(注:M=Mijinko)

今、この経験を経て思うのは、他人が多少、自分に対して嫌な態度をとったとしても、時間が経てば、良い方向に変化する可能性があるということです。

私は、(無自覚に他人を傷付けてしまうことはあるかもしれないけど)、基本的に自分から他人を攻撃することはしないので、
対人関係で嫌な思いをするのは、大抵、相手からの攻撃を受けたときです。
他人の態度は、自分にはコントロールできないので、悩み過ぎても仕方がないし、問題が自分の態度ではなく、相手の態度に起因するのであれば、相手の変化を待つほかないのかなと思います。
人の心は移ろいやすいものでもありますし。

期待し過ぎず、時間をかけて、相手が変化するのを待つ。
今回の職場では、そんなことを学びました。


にほんブログ村

小さな幸せを最大限に喜ぶ才能

2020-11-27 | 仕事
今の職場で私の隣に座っている男性なのですが
色々な冗談を楽しく周りの人に話しているのに
なかなか私には話しかけてくれない人がいます。

その人の話自体は面白いので
私も一緒に楽しませてもらっているのですが
気軽に周りの人には話しかけているのに
なぜだか私にはぜっっっったいに話しかけず
私はちょっと傷付いていました。

席が隣ということもあり、
はじめのうちは私も頑張って話しかけていたのですが
素っ気ない塩対応だし、向こうから話しかけてくることは一切ないしで
最近は私も疲れてしまい、もういいやと諦めて過ごしていました。

で、隣に座っているにもかかわらず、絶対に会話をしない
気まずい(と私が思っているだけ?)時間が流れていました。

で、ある日、私は気付いたのですが
その男性が周りの人と話しているとき、
私の方も見ていて、
(一応、君にも話しかけてるよ)
というメッセージを頑張って発してくれているように思えたのです。

そして、なんと、昨日は、
やっぱり、別の人に話しかけているのには変わりがないのですが
なんだかよく分からない冗談を言っている過程で
(若者の会話は早過ぎておばさんには理解できない)
「そこで僕とミジンコさんが君に〇〇をして…」
と、私がその人の(よく分からない会話)に登場しているではありませんか!!

皆が笑っていたので私も(よく分からないけど)一緒に笑いました。
その人が私のことを仲間に入れてくれようとしているのが分かったのです。

じんわりと嬉しい時間でした。

きっと、その人は何らかの理由があって
(おそらく、人見知り?)
私に話しかけるのには、見えないハードルがあるのです。
おばさんだからなのか、何なのか分かりませんが・・・
(きっとおばさんだからです)

でも、その人なりに、私を疎外しないで、
仲間として扱おうとしてくれていることが分かりました
(よく解釈し過ぎでしょうか?)

ほんの些細な一瞬でしたが、私はとても嬉しかったです。

小さな幸せを最大限に喜ぶ才能、
この言葉は作家の小川洋子さんがアンネ・フランクを称するのに用いた言葉ですが
この言葉がふと頭に思い浮かんだ出来事でした。

(ちなみに、アンネについて書いた過去の記事はこちら
 →「アンネの才能」)

にほんブログ村

諦めて生きる その2

2020-10-28 | 仕事
(過去の記事はこちら→諦めて生きる

私は今、二つの職場を掛け持ちして働いているのですが
周りの人たちとあまり馴染めず、寂しいなと感じることが多いです。

どちらも雑談で盛り上がっている人たちの輪があり、
私もニコニコしながらその話に聞き入ってはいるのですが
その輪に入っておしゃべりをしたり、話を振られたりすることがありません。私は輪の外にいるのです。

どちらも憩いのスペースのような小さな場所があり
よくそこに人が集って話をしているのですが
私はそこに入ることができません。
怖いのです。

そして、少し傷付いていることは、
皆によく話しかける人がいるのに、
私には話しかけてくれないということ。
「話しかけるな」オーラが出ているのでしょうか?
私から頑張って話しかけたことは何度もあるのですが
向こうから話しかけてくることは一切なく、私は心の中で
こっそり落胆しています。

「人の輪に入れない」という悩みは、もう本当に歴史が長く、
私の幼少時の最初の記憶が、砂場で同年代の子供たちからはぶられて
大泣きしている自分の姿だったりします。

このことについては、色々努力も分析もしてきました。
でも、まだ、この歳になって、同じことで悩んでいます。

もう、もう、このことで悩むのは、そろそろ終わりにしたいです。
私には、きっと、人の輪に入るための色々な素質や才能が足りないのです。
足りないものが何かを知るのは辛いし、
知ったところで身に着くわけでもありません。
努力で補えない性質のものだってあるのです。

なので、寂しい宿命は受け入れて、
私は諦めて生きようと思います。

自分のちっぽけで傷つきやすい心を抱えて、
これからも生きていきます。
こんな小さな自分にもできることはきっとあると思うし、
できることに目を向けて生きていこうと思います。

明日、寂しい思いをするのが辛くて、こんな記事を書きました。
諦めて生きる。
多くを期待しない。
淡々と働く。

それを続けるだけ。


にほんブログ村