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ケンミジンコのうた

平和な日々の暮らしを綴った日記です

心を守る工夫

2020-10-23 | 仕事
今日は検査でとても嫌な思いをしました。

検査を受けたくなかった人だったらしく、不満たらたらで私に挑戦的な態度を取り続けました。自分の不満を私にぶつけて解消しようとしているようでした。

精神分析系の人たちはこういう事態を「(感情を)投げ入れる」と表現するようですが(違ったらごめんなさい。まあここを見てないと思いますが)、今日の人はまさに嫌な気持ちをたくさん私に投げ入れてきました。私の心はゴミ箱ではないのに…

私は心の中で「ATフィールド!!」と連呼して自分の心の防御に努めましたが、うまくいきませんでした。ネタが古かったのかもしれません。

今度、同じような事態に遭遇したら、「水の呼吸 拾壱の型・凪」で応戦してみようと思います。相手の攻撃を無効化し、相手がひるんだ隙に首を頂戴することにいたします。

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フリースクール

2020-10-01 | 仕事
先日、縁あって地元のとあるフリースクールを見学する機会がありました。フリースクールとは、何らかの理由で登校できなくなった子供達が学校の代わりに通う場所です。

まず職員室を訪問し、先生方に挨拶をしたのですが、とても親しみやすい穏やかな先生方で、私の緊張は程よくほぐれました。私は今まで二つの小学校で働いたことがあるのですが、ダントツの居心地の良さでした。以前の先生方は、とてもパワーのある方々で、大人しい私は気圧されていたのですが、ここの先生方はエネルギーレベル(?)が自分に近く、自然体でいることができました。

そしてドキドキしながら教室へ…ある程度、予想はしていたのですが、不登校になる子供達ということもあり、やはりエネルギーレベルが私に近く、私はリラックスして溶け込むことができました。

とはいえ私は大人しい性格のため、すぐに子供達の中に溶け込むことはなく、笑顔だけど口をきかない不思議なおばさんのオブジェと化しておりました。私は教室の空気になっているつもりでした。

そんなこんなで午後になり、休み時間に子供達が卓球をするのを私は近くでぼんやり見ていたのですが、ふいに子供が「先生(私か?)も一緒にやろうよ!」と声をかけてきました。私は驚き、そして喜んで参加しました。

普段、運動をしない私が張り切って体を動かしたこともあり、私は足を滑らせ、開始早々、私は派手にひっくり返ってしまいました。「先生大丈夫?」と口々に心配する子供達。子供達に誘われ、心配され、気遣ってもらうことは想定外の展開だったため、私は嬉しくて目頭が熱くなりました。私はそっとトイレに移動し、嬉し涙をこっそりハンカチで拭き取りました。

そのとき私の頭をよぎったのは、目的が定まらず、根無し草のように流されている自分でも、知らず知らずのうちに自分に合った場所に行き着くのではないかという明るい予感でした。もともと私が小学校で働こうと思ったのは、エネルギー溢れる、荒ぶる子供達の相手をするためではなく、どちらかというと繊細で傷つきやすい、昔の自分のような子供に寄り添いたいと思う気持ちがあったからでした。そう思うと、偶然の巡り合わせのようでいて、実はこの場所に私は呼ばれたのかもしれないと思いました。

思いがけず実りの多い日になったので、ここに記しておこうと思いました。


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豊かな時間

2020-09-12 | 仕事
最近、小学校で働いていた2年間のことをときどき思い出します。

私は飼育動物の世話を任されていて、ウサギやカメ、文鳥、セキセイインコと金魚の世話をしていました。

よく思い出すのは、それまで世話をされずに泥だらけになっていたカメの浴槽を、デッキブラシでこすっていた自分の姿です。浴槽からカメをそっと出して散歩させている間、せっせと泥を掻き出してコケを洗い流していました。

カメは風に吹かれて気持ちよさそうにしていました。綺麗な水に放したときに、気持ちよさそうに泳いでいた姿も忘れられません。

それまでの私は、都心のオフィス街で、パソコンと向き合いながら、書類に埋もれる日々を過ごしていました。窓の外を見ても無機質なビルがあるだけでした。人が作ったものではなく、神様が作ったものを見たい…。そう思いながら毎日を生きていました。

そんな私が、汗を流してカメの浴槽を洗い、ウサギの柔らかさに触れ、小鳥の鼓動を手のひらに感じながら働いた。エネルギー溢れる子供たちと過ごす時間があった。

勤めていた当時は不満ばかりでしたが、今、振り返ってみると、自分に必要な時間だったことがよく分かります。私がこれから生きていく上でバランスを保つために、なくてはならない時間でした。

そして私が覚えているのは、デッキブラシで浴槽のコケを落としながら、額の汗を拭くために顔をあげると、校舎の屋上から、教頭先生が身を乗り出してこちらを見ていたことです。

額に汗して働く私の姿を、見ていてくれた人がいたのです。ここで私がカメをいじめていたりしたら別ですが、カメをそっと浴槽から取り出し、散歩させてあげている私を見て、悪く思う人はいないのではないでしょうか…

今から思えば、小学校での2年間は、とても豊かな時間でした。苦しいこと、辛いこともありましたが、時が経った今は、そう思えます。

今の私の暗中模索の日々も、将来、豊かな時間だったと振り返れるようになるといいな…


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共感という名の同情

2020-08-14 | 仕事
心理の仕事を始めてしばらく経ちましたが、ようやくやりたかったカウンセリングの仕事を少しずつ任せてもらえるようになりました。

ただ、まだまだ力が足りず、クライアントさんに満足していただけるカウンセリングからは程遠い印象です。カウンセリングは本当に難しいです。

カウンセリングの基本として、相手の話に共感することが必要不可欠とされています。しかし、この共感がわざとらしくなってしまったり、相手を憐れんでいるように見えてしまったりすることがあるようなのです。

一生懸命共感しながら聞いているつもりが、上から目線で同情されていると気分を害されることがあるみたいです。
(あるみたいです…と推測するしかないのは、クライアントさんは黙っていなくなってしまうからなのですが)

傷付いた人の相談に乗るのに、上から手を差し伸べるのではなく(私は決してそうしているつもりはないのですが、そう感じられないように)、同じ地平に立って支えるのは、なかなか難しいものです。

難しいとは思いますが、私はこの仕事にやりがいを感じています。もっともっと、人の心について知らなくてはいけないと思うし、その過程が自分の人生を豊かにしてくれるように感じています。

そしていつか、クライアントさんと、一緒に成長できるようなカウンセラーになりたいです。

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チャンス

2020-07-08 | 仕事
再放送されている「ごくせん」を見ているのですが
エンドロールのクレジットを眺めていて気付いたことが。
松山ケンイチさんがキャストとして出演されています。

でも、本編を見ればわかるとおり、松山ケンイチさんは台詞がないどころか、
画面そのものに映ることがありません。
大勢いる生徒の一人、エキストラに過ぎないのです。

「ごくせん」は1995年の作品のようですが、
ここから彼はスタートして、どこかでがっちり大きなチャンスを掴み、
大河ドラマの主役を演じる大物俳優にまで成長します。

エキストラの段階で「やってらんねー」と言って辞めていたら
今の彼はなかったわけです。
チャンスを逃さず掴んで糧にして、成長されてきたのだと思います。

それから、勇気づけられた出来事がもう一つ。
再選された都知事の小池百合子さんは67歳です。
67歳ですよ!
私にもまだ20年あるんだな~とやる気が湧いてきました。

松山ケンイチさんにしても小池百合子さんにしても、
なぜそんな有名人を引き合いに出すのか・・・
それはですね、私、ミジンコも、いつか世に出たいと思っているからです!!
いつもは目立たず大人しいミジンコですが、いつかは脚光を浴びて輝きたいんですよ。一生に一度でいいから。

「情熱大陸」や「プロフェッショナル」に取り上げられたいです。
「プロフェッショナルとは?」と聞かれたときに、どう答えたらいいか、練習もしています。

チャンスを掴めるその日を夢見て、今日も明日も、ミジンコは頑張りますよ!!


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