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恩田陸『六番目の小夜子』(新潮文庫)

2018-02-11 | 書評「お」の国内著者
恩田陸『六番目の小夜子』(新潮文庫)

津村沙世子―とある地方の高校にやってきた、美しく謎めいた転校生。高校には十数年間にわたり、奇妙なゲームが受け継がれていた。三年に一度、サヨコと呼ばれる生徒が、見えざる手によって選ばれるのだ。そして今年は、「六番目のサヨコ」が誕生する年だった。学園生活、友情、恋愛。やがては失われる青春の輝きを美しい水晶に封じ込め、漆黒の恐怖で包みこんだ、伝説のデビュー作。(「BOOK」データベースより)

◎恩田陸との出会い

『六番目の小夜子』は恩田陸のデビュー作であり、高校生3部作の原点でもあります。この作品は生命保険会社を退職後に書き終え、1991年日本ファンタジーノベル大賞に応募されたものです。結果は佳作でしたが、翌年に文庫として刊行され作家デビューを果たします。

 いまから20年ほど前のことです。重松清(推薦作『とんび』角川文庫)の幻のデビュー作『ビフォア・ラン』(KKベストセラーズ、現・幻冬社文庫)を探して、神田の古本屋を歩いていました。結局この作品は後日、地元千葉の古書店で、100円ワゴンのなかから発見したのですが。
 
 そのとき同じワゴンにあったのが、恩田陸『六番目の小夜子』(新潮社、現・新潮文庫)の単行本でした。それまで恩田陸は、読んだことがありませんでした。手にとると、「読んでみて」という声が聞こえたような気がしました。埃を取り払い、表紙をみました。
 
 帯には「ある高校に/密かに伝わる奇妙なゲーム。/「六番目の年」、/それは怖ろしい結末を迎えて……。」とあり、それよりも数倍大きな活字で「綾辻行人氏激賞!」とありました。

 これらのコピーは、どうでもよかったのです。だいいち私は、綾辻行人作品をまだ読んだことがありませんでした。ひかれたのは、帯の片隅にあった本文中の活字みたいな小さなコピーでした。

――「幻のデビュー作を/大幅改稿して単行本化」

 重松清の幻のデビュー作を見つけて狂喜した瞬間、恩田陸の幻の処女作とも出会ったのでした。私は弾んだ気持ちで2冊の幻のデビュー作ををかかえて200円を払いました。
 
重松清の幻のデビュー作については、別途書きます。あのとき同時にゲットした、恩田陸『六番目の小夜子』(新潮文庫)の不可思議な世界にはまりました。のちほど知るのですが、本書は文庫が先行発売され、私が手にしたのはその単行本化だったわけです。

舞台は地方のある進学高校。ここには10数年にわたって受けつがれてきた、奇妙な伝統が存在しています。かって文化祭で演じられた「小夜子」という一人芝居がありました。この年の進学率が非常に高く、それ以来「サヨコ伝説」が根づきました。

恩田陸は『六番目の小夜子』について、インタビューに答えるかたちで、つぎのように語っています。

質問者:『六番目の小夜子』は、一番目の小夜子
が死んでその霊が「この学校」を呪っているん
だ、だからこんな変なことが起こるんだってい
う考え方が普通、というか一般的なホラーって
いう思想で作られていませんか。
恩田陸:そうですね。でも呪いそのものよりは
呪いの仕組みというか、呪いが流布されるシス
テムに興味があるので、呪い自体はどうでもい
いんです。
(雑誌「文藝」2007年春号)

 恩田陸自身が語っているように、伝統のゲームについてはほとんど、微細な説明はなされていません。それゆえ「ゲームの中味がわかりにくい」、という批判をあびることになります。ただし恩田陸は、それが伝統となる経緯については、詳細な筆運びをしています。

――それがいつ始まり、誰が始めたのかは、正確
には分からない。しかし、それは、三年に一度、
必ず行われるのだ。/それは、他愛のないしきた
りだった。なんの意味もない、それをしたからと
いって、どこかで表彰されるとか、栄誉を与え
られるとかいうわけでもない。しかし、それで
もその『行事』は行われた。(本書プロローグよ
り)

(1)卒業式のとき在校生は、全卒業生にひとりずつ花をわたします。卒業する「サヨコ」は、そのときひそかに新たな「サヨコ」に鍵をあたえます。これが新たな「サヨコ」任命の印です。

(2)「サヨコ」に指名された人は受諾の意思を示すため、始業式の朝の教室に、赤い花を活けなければなりません。

(3)あとはだれにも知られずに「サヨコ」を演じつづけ、卒業式で新たな「サヨコ」をこっそりと指名するのが義務となります。

(4)ただし3年に1度だけの行事なので、ただ鍵をわたすだけの「サヨコ」も生まれます。

――私たちの卒業する年、その年は『六番目のサヨコの年』と呼ばれていた。(中略)『六番目のサヨコの年』。その四月の始業式の朝、この物語は始まる。(本書プロローグより)

◎「箱」を描いた

 ここまでの予備知識がなければ、第1章にあたる「春の章」から混乱することになります。私は出鼻からアップアップしました。なぜなら始業式の朝、花束を抱えて早朝の学校にやってきた『彼女』(本文中の表記)を女性だとばかり思いこんでいたのです。つまり著者がつけたカギカッコの『彼女』を読み流してしまっていたのです。

――『彼女』はゆっくりと階段を登り、チラリと二階の廊下を覗いた。/そのとたん、ギュッと心臓を鷲づかみにされたような気がした。/一人の髪の長い少女が、ピタリとこちらに視線を向けて廊下の真ん中に立っていた。(本文P17)

 六番目のサヨコに指名された『彼女』は、転校生・津村沙代子と鉢合わせをします。

――「あなたも赤い花を活けにきたの?」/少女はゆっくりとそう言った。(本文P18)

 2人の「サヨコ」の出現。ここから先については、紆余曲折はあるものの、スムーズに物語にはいりこむことができます。

恩田陸は、雑誌「文藝」(2007年春号)のインタビューのなかで、『六番目の小夜子』執筆中にいちばんこだわったのは「学校」。学校って「箱」みたいなものだと語っています。そしてその説明として、「同じ年齢の人間が一か所にいる」という不可解さだとつけくわえました。

恩田陸の「箱」のイメージは、得体のしれぬものが詰まった容器というものです。恩田陸はかねてから、「単なる懐古趣味じゃない、不変のノスタルジーを書きたい」と語っていました。そのために必要だったのは、舞台としての「箱」の存在だったのです。

 謎の転校生・津村沙代子についても、恩田陸は「箱」のイメージで説明しています。ふたたびインタビューでのやりとりを引いてみます。

質問者:津村沙代子という女の子は別に怪物でも
幽霊でもないただの人間ですが、何か入っちゃっ
てるところはありますよね。
恩田陸:まあ望まれる役を演じちゃっているとい
うか、自分という「箱」に何かが入っちゃった感
じもあるかな。でも逆に一つの箱から出ちゃって
どうしていいかわからなくなってそれで鬱にな
ったり自殺をしちゃったりするのかなって。
(雑誌「文藝」2007年春号)

 恩田陸は谷崎潤一郎『細雪』を、高く評価しています。目指しているのは、「人間は出てくるけれどこれ人間なのかな」という感じのノスタルジーの世界です。

――本当にインパクトがあったんですよ、『細雪』を読んだ時に、「こんなに何も起きないのに、このサスペンス感は何?」みたいな(笑)。ラストは唐突だし、雪子は下痢しているのに(笑)。「あれは何で?」ってずっと思ってるんです。いつかああいうものを書くのが私の理想です。(雑誌「文藝」2007年春号)

◎高校生3部作の完結

 デビュー作『六番目の小夜子』につづいて、恩田陸は高校生シリーズとして、『球形の季節』『夜のピクニック』(ともに新潮文庫)と書きつなぎます。『夜のピクニック』は高校生3部作の完結編と位置づけられます。私は「箱」の描き方が、格段に進歩しているとの実感をもちました。

『球形の季節』(新潮文庫)は、地方の高校に広がる奇妙な噂がテーマです。脱出したい少年と居残りたいと願う少女をひとつの「箱」にいれて、恩田陸は感動のラストを描いてみせました。

『夜のピクニック』(新潮文庫)は、午前8時から翌朝8時まで、あらかじめ定められた道をひたすら歩く、高校生活最後の歩行祭が舞台です。この作品は多くの読者から支持され、第2回本屋大賞、第26回吉川英治文学新人賞を受賞しました。また2004年度『本の雑誌』が選ぶ「ノンジャンルベスト10」では1位に選ばれています。

「高校生3部作」で恩田陸は、逃げ場のない舞台となかなか進まない時間をフル活用しました。そしてそのなかに放り込まれた主人公たちの揺れる心理を、巧みに描きあげたのでした。

「山本藤光の文庫で読む500+α」作品として、『夜のピクニック』をとりあげることも考えました。しかし恩田陸作品は、どうしてもデビュー作から読みはじめてもらいたいと思いました。谷崎潤一郎『細雪』という崇高なゴールをめざし、ノスタルジーという大きな「箱」を背負った恩田陸。「高校生3部作」を順序よく読んでいただくことで、恩田陸の熱い息づかいがきこえてくると思います。

◎追記2017.10.07

恩田陸は2017(平成29)年、『蜜蜂と遠雷』で第156回直木三十五賞、第14回本屋大賞を受賞しています。

(山本藤光:2009.08.26初稿、2015.02.09改稿、2017.10.07追記)

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