山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

小川糸『食堂かたつむり』(ポプラ文庫)

2018-02-25 | 書評「お」の国内著者
小川糸『食堂かたつむり』(ポプラ文庫)

同棲していた恋人にすべてを持ち去られ、恋と同時にあまりに多くのものを失った衝撃から、倫子はさらに声をも失う。山あいのふるさとに戻った倫子は、小さな食堂を始める。それは、一日一組のお客様だけをもてなす、決まったメニューのない食堂だった。巻末に番外編収録。(「BOOK」データベースより)

◎切なさを背負って

評判なので読んでみました。主人公・倫子は25歳。あらゆる不幸を背おいこんでいます。本書は1人称「私」で書かれていますので、特に女性読者は感情移入がしやすいと思います。
 
倫子はインド人の恋人と同棲していました。ある日アルバイトから戻ると、部屋はもぬけの殻でした。家財道具はもちろん小物まですべてが消えていました。唯一残されていたのが、祖母の形見の糠床だけでした。
 
失意の倫子は15年前に背を向けた、故郷へと帰ることにします。ふるさとには、母親が一人で暮らしています。母親はアムールという、小さなスナックを経営しています。母親には、ネオコンという愛人がいます。倫子と母親は、あまり仲よくありません。つまり倫子はふるさとへ戻っても、居場所がないのです。おまけに倫子はインド人に裏切られたショックで、声がでない状態になっています。
 
――十五歳で家を出てから、一度もふるさとには帰っていない。/実家は山あいにある静かな村で、自然がとても豊かなところにあり、私はその場所を、心から愛していた。けれど、中学の卒業式を終えたその夜、私はひとりで家を出た。今と同じように、深夜高速バスに乗って。(本文P13より)

小川糸の文章は、きわめてわかりやすいものです。どこにも難解な単語はでてきません。古米ばかりを提供する現代作家のなかで、小川糸の文章は新米のようにきらめき味わい深いものです。

最近、児童文学出身作家の活躍は目立ちます。代表格は、江國香織(推薦作『号泣する準備はできていた』新潮文庫)、佐藤多佳子(推薦作『しゃべれどもしゃべれども』新潮文庫)、森絵都(推薦作『カラフル』文春文庫)などです。あさのあつこ(推薦作『バッテリー』角川文庫)、村山由佳(推薦作『天使の卵』集英社文庫)なども、この範ちゅうに含めていいのかもしれません。これらの作家の共通点は、文章の平易さです。

5人の作家の、言葉の輝きに注目してもらいたいと思います。

◎倫子は母親を「おかん」と呼んでいる

15年ぶりのふるさとは、昔のままでした。唯一変わったのは、バンジージャンプ場ができていたことだけです。そのあたりのことを、小川糸は実にていねいに描きだしています。
 
――カマキリも、アケビも吾亦紅(われもこう)も、みんなあの頃の姿と変わっていない。ペンションも素泊まり宿も、外壁の汚れや錆は増えたけれど、窓辺に何枚もの手ぬぐいが干してあるから営業を続けているのがわかる。道端のお地蔵様には、きれいな布の前掛けがかかり、カップ酒の瓶には花びらの先の先までぴんぴんとした色鮮やかな菊の花が活けられている。お供え物のお饅頭も、つやつやと光っていた。(本文P48より)

私はこの文章を読んで、小川糸の意図的(しゃれではない)な筆運びを感じました。「ぴんぴん」とか「つやつや」などのくりかえしは、通常はさけるべきといわれています。それを平気でつかってしまいますし、その方が情景描写になじめます。小川糸はとっぴな比喩を用いません。抑制された文章に、ありふれた比喩をはさみこみます。その効果を意識しているのです。
 
児童文学作家は、こどもでもわかる比喩を用いなければなりません。そうした感性が、『食堂かたつむり』(ポプラ文庫)にも活かされているのでしょう。
 
倫子は母親を「おかん」と呼んでいます。おかんは毎晩、自宅脇のスナック・アムールに出勤します。おかんはエルメスという名前の豚を、ペットとして飼育しています。倫子に与えられた仕事は、エルメスの面倒をみることだけです。おかんが不在の家で、深夜12時になると、きまってふくろうが12回鳴きます。
 
ふるさとで自活するためには、得意の料理の腕を活かそう。孤独ななかで、倫子はひとつの結論を導きだします。「食堂かたつむり」が動きだします。倫子の食堂かたつむりは、願いごとを叶えてくれるとの噂が流れます……。これ以降にはふれないでおきます。
 
『食堂かたつむり』は、自然の素材を活かした、さっぱりとした味つけでした。スパイスは、あまり効いていません。隠し味として「ふるさと」「親子」「人情」など、懐かしい素材がつかわれています。

いいな、と思いました。久し振りで、糠漬けつきの白粥を味わいました。1日1組の限定ですけれど、食堂かたつむりにはぜひ予約をいれてもらいたいと思います。
 
◎ちょっと寄り道
 
「WEB本の雑誌」の「作家の読書道」(第88回)に、小川糸のインタビュー記事が掲載されていました。このシリーズは著者の本音を引きだしていて、いつも楽しく読ませてもらっています。一部引用させていただきます。

(引用はじめ)
――デビュー作にしてベストセラー、『食堂かたつむり』は、どのような思いから生まれたお話なのでしょうか。
小川 : 最初に思ったのは、主人公の女の子がひたすら料理を作る話を書きたいなということ。物語を書きたいと思い始めてからずいぶん時間が経っていて、いろいろ考える時期でもあったんですよね。このままやっていてもダメならもう諦めよう、だったら最後に自分にとって一番身近にある、料理をテーマに書きたいなと思ったんです。
――主人公は失恋し、財産もなくし、声も出なくなってしまう。どん底の状態においたわけですよね。
小川 : 自分自身の状況を考えても、すごくハッピーというわけではなかったので(笑)。
――だからこそ、再生の物語にもなっている。ただ、それだけではなく、かなりつらい現実も直視していますよね。
小川 : 生活をしていると、楽しいことばかりじゃない。人と人がつきあっていると傷つけてしまったりすることも避けて通れない。そういうことから目を逸らさずに、リアルな話を書きたいんです。 
(引用おわり)

豊﨑由美は『ガタスタ屋の矜恃・寄らば斬る篇』(本の雑誌社)のなかで、『食堂かたつむり』をばっさりと切り捨てています。たとえば食堂を開くのには、調理師免許が必要なのに、糠床以外はなにもないと書いているなどと突っこみます。もうひとつの豊﨑の疑問については、ネタバレになりますのでふれません。

私は豊﨑由美のように、ディテールにこだわる読書家ではありません。また作品をこきおろすタイプの書評を、好ましく思いません。書評家は自分の好みにあわない素材を、俎上にのせるべきではありません

私は小川糸が児童文学を卒業したこと、に拍手をおくっています。なぜなら『食堂かたつむり』は、児童書には不向きな内容ですから。豊﨑由美がまた咆哮するかもしれませんが、『つるかめ助産院』(集英社文庫)もよい作品です。小川糸は着実に成長している、期待の作家なのです。
(山本藤光:2010.02.14初稿、2018.02.24改稿)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿