山本藤光の文庫で読む500+α

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大庭みな子『三匹の蟹』(講談社文芸文庫)

2018-03-01 | 書評「お」の国内著者
大庭みな子『三匹の蟹』(講談社文芸文庫)

「大型新人」として登場以来25年、文学的成熟を深めて来た大庭みな子の、あらためてその先駆性を刻印する初期世界。群像新人賞・芥川賞両賞を圧倒的支持で獲得した衝撃作「三匹の蟹」をはじめ、「火草」「幽霊達の復活祭」「桟橋にて」「首のない鹿」「青い狐」など初期作品を新編成した作品群。(「BOOK」データベースより)

◎やりきれなさを実感

大庭みな子『枕草子』(21世紀版・少年少女古典文学館 第4巻)を読んで、その余韻に浸っていました。彼女の小説は、大学時代に読んだきりだったのを思い出しました。
書棚から『三匹の蟹』(講談社文芸文庫)を引き出し、再読を敢行しました。しかし活字が小さすぎて、じっくりと読むことができません。しかたなしに、拡大鏡の力を借りることにしました。そうすると今度は、集中できないのです。そんなわけで、悪戦苦闘して2日もかけてやっと読み終えました。こうした名作は、早く電子書籍化してもらいたいものです。

本格派の女流作家に関して、大学時代は河野多恵子(「山本藤光の文庫で読む500+α」では『後日の話』文春文庫を紹介)、倉橋由美子(「山本藤光の文庫で読む500+α」では『スミヤキストQの冒険』講談社文芸文庫を紹介)が双璧だと思っていました。そこへ夫の赴任地であるアラスカから、『三匹の蟹』を引っさげて登壇したのが大庭みな子でした。本作は高い評価で、群像新人文学賞、芥川賞を受賞しています。
1968年第59回芥川賞は、丸谷才一『年の残り』(文春文庫)との同時受賞でした。この時代背景について、触れている文章があります。

――戦後も二十年が過ぎ、高度経済成長が頂点に達して、スーパー・マーケットが展開し、高速道路が造られ、新幹線が走り、日本人の海外渡航が自由に許され、豊かな社会が実現した時分のことである。『三匹の蟹』はこの豊かな社会における精神の救いなき渇きを、虚無的な眼差しで描いたものである。(車谷長吉『文士の魂・文士の生魑魅』新潮文庫P184)

こうした時代に大庭みな子は、遠いアラスカで鬱々として原稿用紙に向かったのです。そのころのことを、彼女は巻末の「著者から読者へ」のなかで、つぎのよう書いています。

――その頃、わたしは自分を流刑地に閉じこめられ囚人のように感じていた。

 大庭みな子は、これまで日本人作家が誰も書き得なかった世界を紡ぎ出しました。日本人と外国人が同一社会で日常を過ごす物語は、斬新な未知なる世界でした。そのあたりについて触れられている文章があります。

――この小説では、妻の浮気は、うしろめたさも悲壮感もなく、日常茶飯事のように平然と表通りを歩いているのだから、世間が衝撃を受けたのは当然だろう。(百目鬼恭三郎『現代の作家一〇一人』新潮社P55-56)

瀧井孝作は芥川賞の選評で次のように語っています。

――海外居住者の退屈、無聊、孤独、死にたいほどの寂寥が、私にはよくわかって、この作に感心した。(中略) 退屈、無聊、孤独、寂寥の言葉は、一語も書いていないが、この無内容な時間を何とか過ごさねばならない、やりきれなさが、読みながら実に感じられる小説だ。(『芥川賞全集第8巻』選評より)

大庭みな子の文章には、独特な力があります。その点に触れた文章を紹介します。

――大庭みな子の作風には、現代の〈荒地〉とでもいうべきものを描こうとする面と、寓話的な構成をめざす面とがある。(松原新一・磯田光一・秋山駿『戦後日本文学史・年表』講談社P358)
 
◎二匹の蟹と三匹の蟹

 主人公の由梨は、夫・武と10歳の娘・梨恵とともにアラスカで暮らしています。『三匹の蟹』は、自宅でブリッジ・パーティがあった翌日の、朝の場面から書かれています。
由梨は行きずりの男とモーテルで一晩を過ごし、始発のバスを待っています。私は導入部分の鮮やかな描写に、この作家のなみなみならぬ力量を感じました。海辺のモーテルを出て、バスを待っているときの描写です。

――海は乳色の霧の中でまだ静かな寝息を立てていた。藺草(いぐさ)のような丈の高い水草の間では、それでももう水鳥が目を覚ましていて、羽ばたいたり、きいきいとガラスをこするような啼声を立てていた。(本文冒頭)

――目を落とすと、蟹が二匹連れ立って由梨の爪先からほんの二三十糎(センチ)のところを這っていた。蟹の甲羅は甲羅であって、顔ではないのだが、どういうわけだか、由梨は何時(いつ)でもそのいびつな蟹の甲羅が顔に見えて仕方がないのである。(本文P7-8)

 大庭みな子は、「二」を均衡の象徴として描きます。そしてタイトルの「三」には、不均衡の意味を与えたのだと推察されます。それが「蟹が二匹連れ立って」の部分に表れています。

由梨は男と一夜過ごしたモーテル「三匹の蟹」のネオンを見ます。やってきたバスに乗車した由梨は、財布がないことに気がつきます。財布は男に、盗まれていたのです。ここまでが、パーティの翌朝の場面です。

◎安らぐべき場所

そして物語は、前日の場面へと転換されます。家族3人は、夜に開かれるパーティの準備をしています。参加するメンバーは、神父や画家や文学研究者や日本人夫妻です。彼らは複雑に、性的関係を持っています。夫の武も由梨も、同様な関係を持っています。由梨はそうしたどろどろした関係に嫌気を覚えており、今晩のパーティには参加しないと決めます。

由梨は「姉がきているので」といって、パーティを抜け出します。由梨はアラスカ・インディアンの民芸品展会場へ入ります。そこで彼女は受付をしていた、桃色シャツの男と知り合います。その後2人は、ジェット・コースターに乗ったりダンスをしたりして、「三匹の蟹」という名前のモーテルへと入ります。由梨は行きずりの男に癒やされます。そしてパーティ会場での表面的なやり取りや、夫や娘の声を思い浮かべます。

大庭みな子は倦怠感や閉塞感に満ちた世界を、硬質な文章でみごとに描き出してみせます。異国の地アラスカ、夫と娘との人間関係、一見フレンドリーな仲間たちの腹の中、そして一時の救世主と思われた、桃色シャツの男との情交。大庭みな子は倦怠や猜疑のパーツを、ていねいにつないで見せます。
最後に由梨は、どこにも安らぐべき場所はないことと悟ります。このラストに到るまでの過程を、説明した文章があります。

――「三匹の蟹」の由梨は、哀しいまでに孤独である。夫と娘とで出来た家庭があり、外国人の友人たちが周りにいながら、彼女は自分の居場所がどこにもないかのようにひとりぽっちである。その寂寥が、アラスカの海、浜辺の遊園地、霧の描写と一体になって鮮やかに浮かび上がる。(川西政明『死霊からキッチンへ』講談社現代新書P185-186)

 本稿の冒頭でも触れましたが、大庭みな子は実に幅広いジャンルで活躍しました。日本の古典の口語訳、詩、評論、ドナルド・キーンなどの作品や児童書の翻訳。こうしたたくさんの業績を残し、大庭みな子は、2007年76歳で逝去しています。
山本藤光2017.08.27初稿、2018.03.01改稿

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