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忖度と諫言(過去の妙に知よりすぐり)

2018-02-02 | 妙に知(明日)の日記
忖度と諫言(過去の妙に知よりすぐり)
忖度(そんたく)だらけの日本になってしまいました。蕎麦屋のメニューみたいな「かけ」「もり」騒動はその典型です。読書中に真逆の単語を眼にしました。
諫言(かんげん)。目上の人に対していさめることです。『武士道』のなかにも、この単語は登場します。

――徳川家康は、主君に対する諫言(かんげん)は一番槍よりも値打ちがあるといっている。一番槍は昔の武士にとって最高の名誉とされたが、それ以上の価値があるというわけである。いいかえれば、諫言というものは、それほど貴重でむずかしいものだということになる。(松下幸之助『指導者の条件』P43、PHP文庫)
ちなみに「武士道協会」では、次のように説明しています。
『諫言』
(かんげん)とは、いさめること。武士道の忠義とは主君に対し、諂う(へつらう)事ではありません。主君にこびへつらう家来の事を佞臣(ねいしん)といい、武士道に於いてあるまじき家来です。本当の忠臣とは『諫言』できる家来とされています。諫とは「ただず」と言う意味で、
主君の理に反する振る舞いに対し、これを諌め(いさめ)てただすことです。

「葉隠」には「奉公の至極の忠節は、主に諌言して国家を治るに事也。」諌言する事を忠節としいます。しかし、主君に異見を言う事は命がけです。
織田信長の家臣「平手政秀」は信長に「切腹」を以て「諌言」した忠臣と言われています。武士の世に於いても諌言する事は難しく「主君の悪事を見て諫言を言える家老は、戦場にて一番槍をつくよりも遥かに難しい」

諫言が消えてしまった現代において、何とか貴重な単語を残しておきたいものです。
山本藤光2017.12.24

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