山本藤光の文庫で読む500+α

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石井桃子『ノンちゃん雲に乗る』(角川文庫)

2018-02-21 | 書評「い」の国内著者
石井桃子『ノンちゃん雲に乗る』(角川文庫)

ある朝小学校二年生のノンちゃんが目をさますと、お母さんがお兄ちゃんをつれて出かけてしまった後。大泣きして神社の境内にある大きなモミジの木に登ったノンちゃんは、池に落ちたと思ったら空に落ちて、雲に乗ったおじいさんに拾われて…。第一回文部大臣賞受賞。(「BOOK」データベースより)

◎クマのプーさんとの出会い

 角川文庫『ノンちゃん雲に乗る』を、古書店のワゴンで発見したときは狂喜しました。それまでは児童書(福音館創作童話シリーズ『ノンちゃん雲に乗る』)しか手元にありませんでした。角川文庫は裸本(カバーなし)で、紙ヤケは活字までせまっていました。奥付は昭和48年初版となっています。それを何度くりかえし読んだことでしょう。

「山本藤光の文庫で読む500+α」の近代日本文学の125冊に選んでから、改めて骨董品に挑みました。ところが紙ヤケが進行しており、おまけに老眼まで進行しているので、読むのに難渋してしまいました。そんなときに講談社文芸文庫の『日本の童話名作選・戦後編』に「ノンちゃん雲に乗る」が収載されていることを知りました。ヤケひとつないきれいな本をひらいて愕然としました。「ある春の朝」しか収載されていなかったのです。

『ノンちゃん雲に乗る』は、文庫本で300ページほどの長編です。「ある春の朝」は序章にあたり、30ページ未満のものなのです。仕方がないので、アマゾンで『石井桃子集1』(岩波書店)を購入しました。函入りの本で、活字もきれいでした。2度も読みました。その間ずっとさわやかな日々をおくりました。本書は私にとってかけがえのない、最高峰の児童書なのです。

 石井桃子は、A.A.ミルン『クマのプーさん』(岩波少年文庫)の翻訳者として有名です。石井桃子は26歳のときに犬養健邸(評論家・犬養道子の実家)で、「プーさん横丁にたった家」の原書(The House at Pooh Corner)にめぐりあいました。1933(昭和8)年のクリスマス・イヴのことです。当時小学4年生くらいだった犬養道子たちに「読んで」とせがまれて、石井桃子は作者や物語について知らないままに、翻訳して読み聞かせました。以下石井桃子の文章です。

――その時、私の上に、あとにも先にも、味わったことのない、ふしぎなことがおこった。私は、プーという、さし絵で見ると、クマとブタの合の子のようにも見える生きものといっしょに、一種、不可思議な世界にはいりこんでいった。(石井桃子「プーと私」、『石井桃子のことば』とんぼの本より)

 そして1940年『クマのプーさん』(岩波書店)として世にでたのです。『ノンちゃん雲に乗る』(光文社)が発刊されたのは、1947年のことです。本書はたちまちベストセラーとなりました。

◎ノンちゃんのお話

主人公のノンちゃんは小学校2年生です。新学期からは級長になる、優秀な女の子です。私がはじめて『ノンちゃん雲に乗る』を読んだのは、ノンちゃんと同じ歳のときでした。翌年(1955年)にそれが鰐淵晴子の主演で映画化となりました。小学校の授業として、映画館へ引率された記憶があります。

物語は「いまから何十年まえの、ある晴れた春の朝のできごとでした」で書きだされます。ところが天沢退二郎(『石井桃子全集1』の解説)によると、初出本はちがっていたようです。孫引きになりますが、引用させていただきます。

――いまから十四五年まえの、ある晴れた春の朝のできごとでした。いまでいえば東京都、そのころでは東京府のずっとずっと片隅にあたる菖蒲町という小さな町の、またずつとずつと町はずれにある氷川様というお社(やしろ)の、昼なお暗いような境内を、ノンちゃんという八つになる女の子が、ただひとり、わあわあ泣きながら、つうつうはなをすすりながら、ひょうたん池の方へ向かって歩いておりました。(『少年文学代表選集1』光文社、一九四九年)

引用原文は「社」は示ヘン、昼は旧字となっていました。天沢退二郎が推察しているとおり、改変後のほうがぼんやりした時間で適切だと思いました。

ノンちゃん(本名は田代信子)は、お母さんと兄ちゃんが自分をおいて出かけたので、悲しくて泣いていたのです。泣きながらノンちゃんは、木の上からひょうたん池に映る空をのぞいていました。そして誤って池に落ちてしまいます。

気がつくとノンちゃんは、水に映った雲の上にいました。そこには白いひげを生やした、おじいさんがいました。おじいさんに請われて、ノンちゃんは自分や家族の話をはじめます。本書は「ノンちゃんのお話」という大見出しのもとに、「ノンちゃんの家」、1度だけにいちゃんをぶった「おとうさん」、大好きな「おかあさん」、乱暴な「にいちゃん」へとつながります。その後やさしい「おじいさんのお話」をへて、ノンちゃんは小雲に乗って、自宅へと帰ってきます。

◎自分と数人の友人のために

『考える人』(2014年春号)で、「海外児童文学ふたたび」という特集が組まれていました。表紙がムーミン人形をもつ若き日のトーベ・ヤンソンでした。内容を吟味することなく、思わず購入してしまいました。小特集として「石井桃子を読む」というページがありました。

 川本三郎が『ノンちゃん雲に乗る』について筆をとっています。川本三郎は「中島京子『小さいおうち』(補:文春文庫)が『ノンちゃん雲に乗る』とほぼ同時期の東京の郊外住宅地の物語である」と書いています。それでハッとしました。バートン作の『ちいさいおうち』(岩波書店)は、石井桃子の訳書だったことを思い出したのです。おそらく中島京子は、石井桃子の訳書を読んでいて、タイトルをきめたのだと思います。

上橋菜穂子が国際アンデルセン賞を受賞してから、にわかに児童文学の世界がにぎやかになりました。中島京子(推薦作『FUTON』講談社文庫)などにも、ぜひ児童書を書いてもらいたいものです。

とんぼの本に『石井桃子のことば』という1冊があります。そのなかから少し紹介させていただきます。

――私には、ほとんど無意識のうちに――というのは、これが本になるだろうかとか、大勢の人に読んでもらいたいとかいう気持ちなしに――書きつづけ、訳しつづけた本が二つある。一つは「ノンちゃん」であり、もう一つは「クマのプーさん」である。これらの本を書き、訳していたときの心境は、純粋に自分と数人の友人の為というのであった。(自作再見「ノンちゃん雲に乗る」。『石井桃子のことば』とんぼの本P17より)

 石井桃子は『ノンちゃん雲に乗る』の執筆動機について、つぎのように書いています。
――『ノンちゃん雲に乗る』は最初、兵隊に行っている友達の憂さ晴らしのために書きました。友達が兵営で私が送る原稿を夜中に隠れて読んで、「読んでいる時だけ人間になっている」と言ってくれたんですね。(『文藝』1994年。『石井桃子のことば』とんぼの本P16より)

 最後に「逸話ともいえない小さな出来事があります」との前置きで書かれた文章を紹介します。

――ある高台の駅のホームから、青空に浮かぶ雲に日が射して、ぱっと輝くのを見た思い出がある。ああ、まだ雲の上には光り輝く世界があると思った。(自作再見「ノンちゃん雲に乗る」。『石井桃子のことば』とんぼの本P17より)

 この光景が別の日に見た、おどっている女の子たちの姿と重なりました。『ノンちゃん雲に乗る』誕生の瞬間です。

井伏鱒二に、「ドリトル先生」の翻訳を依頼したのは石井桃子です。石井桃子は101歳で亡くなりました。しかしたくさんの翻訳本や企画本は、いまだに健在です。

2014.11.05の日記
石井桃子『ノンちゃん雲に乗る』(角川文庫)をゲット。古書店の廉価ワゴンでついに発見。裸本で、小口の黄ばみははなはだしいのですが、読むことはできます。ついでに書店で『石井桃子の言葉』(とんぼの本)も購入しました。『ノンちゃん雲に乗る』は、『日本の童話・戦後編』(講談社文芸文庫)の抄録でしか読んでいませんでした。そこには「ある春の朝」が収載されています。角川文庫にはほかに「雲の上」「ノンちゃんのお話」(9話所収)「おじいさんのお話」(2話所収)「小雲に乗って」「家へ」「それから」とつづきます。読みはじめました。ほのぼのとして、至福の時がやってきました。書斎から窓外をながめると、雲ひとつない青空が広がっていました。
(山本藤光:2014.11.28初稿、2018.02.21改稿)

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