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有吉佐和子『紀ノ川』(新潮文庫)

2018-02-25 | 書評「あ」の国内著者
有吉佐和子『紀ノ川』(新潮文庫)

小さな川の流れを呑みこんでしだいに大きくなっていく紀ノ川のように、男のいのちを吸収しながらたくましく生きる女たち。――家霊的で絶対の存在である祖母・花。男のような侠気があり、独立自尊の気持の強い母・文緒。そして、大学を卒業して出版社に就職した戦後世代の娘・華子。紀州和歌山の素封家を舞台に、明治・大正・昭和三代の女たちの系譜をたどった年代記的長編。(内容案内より)

◎有吉自身の家系をモデルに

最近の若い人は、ほとんど有吉佐和子を読んでいないのでしょうか。書店の棚で両肘を張っていた有吉作品群が、貧相なほど痩せ衰えていることを発見しました。半世紀前、有吉佐和子は現在の宮部みゆきのように、輝いていました。古典芸能や歴史、社会問題と幅広いテーマを扱う、希有のストーリーテラーとして、発表するたびにベストセラーの山を築いていました。

晩年に発表し社会現象にまでなった、『恍惚の人』や『複合汚染』(ともに新潮文庫)はご存じの方が多いかもしれません。また歴史小説の『華岡青洲の妻』(新潮文庫)も代表的な作品です。

もちろんそれぞれが、優れた作品です。しかし有吉作品に触れていない若い方には、『紀ノ川』(新潮文庫)は、どうしても読んでいただきたい作品です。有吉自身の家系をモデルにした本書は、明治・大正・昭和に生きる女性にまつわる社会を学ぶうえでの、すてきなテキストともなります。

明治には祖母をモデルとした花、大正は母をモデルにした文緒、そして有吉佐和子自身は昭和の華子として登場します。華子イコール有吉佐和子であることは、本人も認めています。磯田光一の著作のなかに、次のような文章があります。磯田光一が本人に質問を投げかけます。

――私(補:磯田光一)は有吉さんに、「あの華子は昭和生まれですね、……」といいかけると、すぐさま、「そうよ、あれが、あたし自身なのよ」ときっぱりといいきったのであった。(磯田光一『昭和作家論集成』新潮社P636)

華子の祖母にあたる花は、磯田光一の計算によると明治10年の生まれです。花は紀州の名家・紀本家に生まれました。花は当時では珍しく学問を授けられ、祖母・豊乃の勧めで六十谷(むそた)の地主で村長の真谷敬策のもとに嫁ぎます。

◎美っついのう

物語は花の結婚式当日から動きはじめます。76歳になる祖母・豊乃と花は、朝靄に包まれた早春の石段を上ります。そしてこんな描写につづきます。

――朝靄は晴れかけて、薄く朝日が射し始めていた。/「見(み)、紀ノ川の色かいの」/青磁色の揺らめきが、拝堂を出て東の石段へ戻りかけた二人の眼の前に横たわっていた。/「美っついのし」/花は思わず口に出して感嘆した。/「美っついのう」/豊乃は花の言葉を反芻して、花の左手を握りしめた。(本文P19)


有吉佐和子は紀ノ川の美しさを、紀州弁でみごとに表現して見せます。花はその紀ノ川を、船で下って嫁入りするのです。

美人で才媛の花は、妻として敬策につかえ、嫁として姑・ヤスにしたがいます。花の献身的な支えがあり、敬策は和歌山の政界へと乗り出します。そんな二人のあいだに、文緒という娘が誕生します。長男は目立たぬ存在なのですが、文緒は次第に男顔負けの活発な女性となります。母・花にたいして、ことごとく反発します。母と娘のギャップについて、有吉佐和子は見事な筆さばきで読者に突きつけます。

花は文緒に躾や琴などをしこみますが、文緒はことごとく母親に反発します。母親の古さを軽蔑し、新しい時代の女権を主張します。そしてわがままをいって、東京の女子大へと進学を決めてしまいます。卒業後に銀行員と結婚した文緒は、一向に花のもとを訪れません。そのあげく、夫の海外赴任地へと行ってしまうのです。

文緒は親の恩義に触れることなく、乱暴な手紙で花への反発をつづけます。ところが海外の赴任地で次男の晋を亡くしてから、少しずつ変化をみせます。やがて文緒は、華子と名づけた娘を出産します。

◎紀ノ川と白い蛇

花の祖母・豊乃が亡くなります。花の夫・敬策も亡くなります。時代は多くの身内を黄泉に送り、新たな命を誕生させます。そのなかで変わらぬ存在として、紀ノ川の流れがあります。そしてもうひとつ、真谷家に住み着いている白い蛇の存在があります。

2つの戦争を経て、真谷家も没落してゆきます。夫を失った文緒の生活も、窮乏してしまいます。華子は女子大学を卒業して、出版社に勤務しています。そこへ祖母・花が重態という知らせがとどきます。文緒が駆けつけますが、一命をとどめます。

ラストの場面については触れません。明治・大正。昭和と生き抜いた花は床についたままです。紀ノ川の美しい姿と、白い蛇が時代を生き抜いた花と、そして死のときを迎えようとしている花を象徴します。

結婚式場には、○○家と○○家という看板がなくなりました。花が存命なら、嘆き悲しんだことでしょう。核家族化が進み、孤独な老人が増えています。善悪は別にして、そんな時代になった流れを、『紀ノ川』で振り返ってみてもらいたいと思います。
山本藤光:2013.07.141初稿、2018. 02.25改稿


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