山本藤光の文庫で読む500+α

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小川洋子『博士の愛した数式』(新潮文庫)

2018-02-02 | 書評「お」の国内著者
小川洋子『博士の愛した数式』(新潮文庫)

1990年の芥川賞受賞以来、1作ごとに確実に、その独自の世界観を築き上げてきた小川洋子。事故で記憶力を失った老数学者と、彼の世話をすることとなった母子とのふれあいを描いた本書は、そのひとつの到達点ともいえる作品である。現実との接点があいまいで、幻想的な登場人物を配す作風はそのままであるが、これまで著者の作品に潜んでいた漠然とした恐怖や不安の影は、本書には、いっさい見当たらない。あるのは、ただまっすぐなまでの、人生に対する悦びである。(アマゾン内容紹介)

◎透明感あれる感性の持ち主

小川洋子はデビュー作「揚羽蝶が壊れるとき」(『完璧な病室』新潮文庫所収)以降、一気に文壇の栄光の階段を駆け上がってきました。新人文学賞、芥川賞候補、芥川賞が最短の道だとしたら、まさにそこを疾風のように上り詰めたといえます。

 小川洋子は自らの作品の舞台のことを、つぎのように語っています。
――もともと「病院」「標本」「博物館」といったひんやりとした手探りのものに心惹かれていた。(「日経トレンディネット」2006年8月24日より)

なるほどデビュー作「揚羽蝶が壊れるとき」は、祖母を施設に入れる話です。『博士が愛した数式』の「数学」は、まぎれもなくそれらの延長線上にあります。

小川洋子がデビューしたころ、それに寄り沿うように走っていた女流作家がいました。荻野アンナです。2人は対照的な作風で、ゴールを目指していました。荻野アンナは現在母校の慶應義塾大学文学部教授であり、小川洋子は文筆業に専念しています。私は2人の初期作品を、併行して読んでいました。本人たちはそう思っていなかったかもしれませんが、私はライバル作家として注目してきました。芥川賞受賞も、次のとおりほぼ同時だったのです。
 
小川洋子『妊娠カレンダー』(1991年第104回芥川賞受賞、文春文庫)
荻野アンナ『背負い水』(1991年第105回芥川賞、文春文庫)

2つの作品は、ぜひ同時に読んでいただきたいと思います。極端に異なる作風が芥川賞を受賞したということは、それだけ社会のキャパシティが広かったということです。荻野アンナは最新作に目新しいものがないため、「山本藤光の文庫で読む500+α」からは外させてもらいました。しかしユーモアに満ちた作品に、ぜひ触れてほしいものです。
 
 小川洋子の作品『薬指の標本』(新潮文庫)は、フランスで映画化もされています。小川洋子は「私が作品を書くとき、最初から鮮明に映像があります」と語っています。本書には標本技術士なる人物が登場します。前記のインタビューで、小川洋子はつぎのように作品のポイントを紹介しています。
 
――少女は自ら男性に束縛されたいという態度を示しながらも、本当のところは彼らに哀れみの心をもっていて、単純な言いなりになっているのではない。(インタビュー記事引用)

小川洋子の作品を読むときは映像化のことと、この微妙な心理に着目していただきたいと思います。私はこれだけ鋭い感性をもった現代作家の存在は、ほかに知りません。そしてそれが結実したのが、『博士が愛した数式』なのです。

◎『博士の愛した数式』はほのぼのとした物語

小川洋子『博士の愛した数式』(新潮文庫)は、ほのぼのとした愛情に包まれた物語です。10歳の息子がいる「私」は、家政婦紹介組合から博士のもとに派遣されます。顧客カードを見ると、家政婦が9回も交代していることがわかります。「私」はおそるおそる、博士宅を訪問します。品のよい老婦人が対応し、「義弟の世話をしてもらいたい」といいます。そして世話をするべき博士に関して、次のような説明をします。
 
――今から十七年ほど前、ごく一部に故障が生じて、物事を記憶する能力が失われた、という次第です。交通事故に遭って、頭を打ったのです。義弟の記憶の蓄積は、一九七九年で終わっております。それ以降、新たな記憶を積み重ねようとしても、すぐに崩れてしまいます。三十年前に自分が見つけた定理は覚えていても、昨日食べた夕食のメニューは覚えておりません。簡単に申せば、頭の中に八十分のビデオテープが一本しかセットできない状態です。(本文P11より)
 
 現在の記憶を80分で失ってしまう数学博士。背広にはさまざまなメモが、クリップで留めてあります。たとえば、博士の世話をする家政婦とその息子・ルート。2人のことも稚拙な似顔絵つきで、メモとして留めてあります。80分たったら、初対面の人になってしまうからです。「80-80=0」。博士の記憶は、おそらくこんな数式になるのでしょう。

 家政婦として勤め、しばらくたったある日のことを「私」は、次のように認識しています。
――何日経っても私の存在を覚えられないのは間違いないようだった。袖口に留めた似顔絵付きのメモは、私が初対面の人間ではない事実を博士に教えるだけで、一緒に過ごした時間を蘇らせる手助けにはならなかった。(本文P37より)

 博士のなかでは、過去の記憶は健在です。専門的な数学の知識は、もちろん持ち合わせています。博士の記憶のなかで、タイガースの江夏は現役バリバリの投手です。

 そんな博士、家政婦、10歳の息子の、愛情あふれるやりとりに味があります。第1回本屋大賞に輝いた本書は、奇妙な設定ではありますが、しんみりとさせられます。数字の魅力だけではなく、心やさしい3人を描いたところに、本書の価値があるのです。

 文句なし。「日本現代文学」の最上位。できれば『完璧な病室』(中公文庫)も読んでもらいたいと思います。小川洋子の思考の原石を発見できるからです。
(山本藤光:2009.11.07初稿、2018.02.02改稿)

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