山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

小檜山博『出刃』(河出文庫)

2018-02-27 | 書評「こ」の国内著者
小檜山博『出刃』(河出文庫)

北国の冷たい夏に離農をよぎなくされ、二人の子供を置いて、妻に逃げられた男。男は焼酎を片手に出刃を磨ぐ…。過酷な自然を背景に、力強い文体で人間の内面を抉る、鮮烈なデビュー作「出刃」ほか、力作3篇を収録。(「BOOK」データベースより)

◎小檜山博との出会い

小檜山博を知ったのは、愛読していた「北方文芸」(1976年5月号)で、北方文芸賞受賞作『出刃』を読んでからです。当時の私は社会人になったばかりで、まだ小説家になることを夢見ていました。同人誌「点影」に、作品を発表していました。文芸誌の新人賞にも応募していました。「北方文芸」は「文学界」などとともに、定期購読雑誌のひとつでした。

「北方文芸百号記念号」の「北方文芸賞」は、選者が豪華でした。野間宏、吉行淳之介、井上光晴という大家がならんでいました。私が好んで読んでいる作家たちが選んだ作品。それだけで受賞作『出刃』の価値に納得してしまいました。選評の一部を採録してみたいと思います。

――井上光晴:焼酎の屋台から始まって出稼ぎでしょ、また出てきやがったなと思ったけれど、だんだんひき込まれていくんですよ。荒々しいもののなかに、妙にリアリティがあるんですね、現実感が。(「北方文藝賞」選評より)

――吉行淳之介:最初の二ページでね、ところどころ僕の文章を感じたんだよ。それで、これはこういう材料には拙いなって危惧を抱いて読んでたんだけど、違うね、自分のものになってるよ。(「北方文藝賞」選評より)

――野間宏:これは今までにも当然出ているべきであったものなんだけれど、まだ表現として出てこなかったものを出してきてることは事実ですね。貧しい農民の心理の幅も広く農民に限らずさらに他の領域へとひろがっている。こういうものが、出てきてほしかったと、はっきりといえますね。(「北方文藝賞」選評より)

大作家からべたぼめされている小檜山博を、うらやましく思いました。それ以来、私は本当に小説を書くことをやめてしまったのです。

やがて札幌に転勤になります。さっそくエッセイに登場する、妹さんが経営するスナックを探してみました。ススキノにその店は実在していました。足しげく通うようになったある日、小檜山博と出会いました。妹さんから紹介してもらい、緊張しながらしゃべりまくった記憶があります。

2度目にお会いしたとき、目の前で『雪嵐』に署名捺印をしてプレゼントしてくれました。そのときもなにをしゃべったのかは記憶にありませんが、「宝物にします」と胸に抱きかかえた瞬間は、鮮明に覚えています。
  
◎『出刃』の切れ味
 
それ以来せっせと、「小檜山博の事典」を作成しはじめました。大学のときに、「安部公房の事典」を作成したことがありました。こちらは卒論のためだったのですけれど、小檜山博の魅力的な表現は自発的にやってみようかなと思いました。
 
大好きな作家がいたら、ぜひ「○○事典」を楽しんで作成してもらいたいと思います。以下「小檜山博の事典」より、『出刃』にかんするもののみ引用してみます。
 
妹(いもうと)
すぐ横の椅子に座っている妹は十七歳になるのに、小児麻痺にやられて歩くこともできない。兄は十年前、藪出し中に丸太にはさまれ、頭が雑巾のように潰れて死に、すぐの妹はの貧農の長男に嫁ぎ、中風で寝込んでいる七十八歳の老婆を含めた十人家族の中で家畜のように働いている(出刃)

警官(けいかん)
 警官は書く手を止めると、ちらっと上目づかいにこちらを見た。他人どもの不幸の量で自分の幸せの度合いを測っている感じの、さもしい眼つきをした男だった。(出刃)

子供(こども)
 来年小学校へ入る男の子は、わずかだが知恵遅れの傾向がある、と医者に言われている。下の女の子は、兄が近所の子供たちに山ザル、百姓などと嘲られヘラヘラ笑っていても、ただぼんやり眺めているという具合で感情の起伏が曖昧だ。 (出刃)

団欒(だんらん)
視界の隅に映る星が、ガラスにレモンの汁を散らしたように見える。夜は浅く、一本道の市街はまだどこのいえの窓にも光が溢れている。時おり洩れてくる団欒の声が、おれに当てつけている感じに聞こえて癪にさわった。 (出刃)

父(ちち)
 隣家の薄暗い玄関の戸が開閉し、父らしい人影がこちらへ近づいてくる。そばまでくると、これしか借りられんかったけんど持ってけや、と言って小さくたたんだ新聞紙を差し出した。礼を言おうとしたが、喉の奥で妙な唸り声がしただけだった。受け取ると父は黙って背を向け、暗い道を自分の家の方へ歩き出した。(出刃)

父(ちち)
父はキャベツ畑にうずくまっていた。葉についた青虫を取っているようにも見えたが、じっと動かない背中の感じでは、ただしゃがんで土を見ているだけなのかもしれなかった。(出刃)

母(はは)
 母もまた変わり過ぎた。子供のころ畑の土手に坐って胸をいっぱいに広げた母の、一番下の妹に乳を飲ませていたときの堂々として自信に溢れた姿が思い浮かんでくる。ハッカや亜麻が高く売れた時期だった。いちめん濃い緑のハッカ畑の中で、母の豊かな乳房は白すぎて眩しく、おれは妙な恥ずかしさにまといつかれうつむいた気がする。(出刃)

夕焼け(ゆうやけ)
 いつのことだろう。川べりにあるわずかばかりのハッカの草取りをしていた夕方、川水で手足を洗い、ヤブ蚊やブヨに刺された跡を掻きながら家へ向かったときの夕焼けの色を忘れられない。 (出刃)

離農(りのう)
 秋になって六軒が離農して行った。引っ越しの日、彼らはもう戻るはずもない窓に板を×印に打ちつけ、の誰にも挨拶せず、早朝、市街から頼んだトラックでこそこそと消えて行った。いつも曇った日ばかりだった。みんな碌な家財がなく、空き箱や空の一升ビンまで積んで荷を嵩張らせていた。 (出刃)

◎現代に挑むドン・キホーテを描く

『出刃』は冷害のために、離農せざるを得ない一家を描いています。故郷を捨てて街へ出たものの仕事が見つからず、男は妻子のために出稼ぎにでます。

やがて男は山をおりてきますが、妻は駆け落ちしていなくなっています。男は残された2人の子供を自分の実家に預けようとしますが、実家も「今」を生き延びるのすら大変な状態です。

これからも小檜山博は、歪んだ現代に挑むドン・キホーテを描きつづけるでしょう。荒れ果てた文明を拒む大地と闘う人間や、文明の片隅で恩恵も受けることなく暮らす人間に、照準を合わせる作品を待ち望んでいます。中上健次の亡きあと、それを書けるのはこの人しかいないと思っています。

『出刃』同様に、評価したい作品が『光る女』です。この作品は、小檜山博の私小説に近いものです。小檜山作品を語るときに、忘れてはならない「都会」が舞台になっています。

「荒れ果てた故郷」と「荒廃した都会」。前者の夜にはくっきりとした形で自己主張している「星」があるのにたいして、後者の夜にはけばけばしい「電飾」のまたたきがあります。故郷に留まることと、故郷を捨ててしまうことの大きな価値観のちがいを知っている作家は少ないと思います。
(山本藤光:2009.11.04初稿、2018.02.27改稿)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿