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小林多喜二『蟹工船』(新潮文庫)

2018-03-02 | 書評「こ」の国内著者
小林多喜二『蟹工船』(新潮文庫)

海軍の保護のもとオホーツク海で操業する蟹工船は、乗員たちに過酷な労働を強いて暴利を貪っていた。“国策"の名によってすべての人権を剥奪された未組織労働者のストライキを扱い、帝国主義日本の一断面を抉る「蟹工船」。近代的軍需工場の計画的な争議を、地下生活者としての体験を通して描いた「党生活者」。29歳の若さで虐殺された著者の、日本プロレタリア文学を代表する名作2編。(文庫案内より)

◎プロレタリア文学の代表作
 
小林多喜二は「蟹工船」を書いて特高(特別高等警察)にマークされ、「不在地主」(岩波文庫、初出1929年)で勤めていた拓殖銀行を解雇されています。1930年に逮捕・収容され、1931年に保釈されました。保釈後に書き上げたのが、「党生活者」(新潮文庫『蟹工船/党生活者』所収)です。

『蟹工船』のタイトルの意味を、理解しなければなりません。「航船」ではなく、「工船」になっているのはなぜでしょうか。一般的には獲った蟹をその場で、缶詰にする作業船という意味です。ところがこの船は、「航海法」に準拠されていません。「航船」ではないからです。「航海法」とはなにか、私にはわかりません。ただ「工船」という名前からは、なんでもありだぞという忌まわしいイメージが、浮かびあがります。

 蟹工船・博光丸は護衛の駆逐艦に護られながら、ソ連領へと分け入りました。船には14、5歳の貧しい若者が多く乗りこんでいました。監督の浅川は、冷酷な男でした。人の死などなんとも思いません。ただひたすら、生産性を上げることだけを目論んでいました。オホーツク海の厳冬。そこには船上で鞭打たれ、ひたすら働く男たちがいました。そしてゲキを飛ばす淺川監督がいたのです。
 
――ともかくだ、日本帝国の大きな使命のために、俺達は命を的に、北海の荒波をつッ切て行くのだということを知ってて貰わにゃならない。だからこそ、あっちへ行っても終始我帝国の軍艦が我々を守ってくれることになっているのだ。(本文P20より)

過酷な労働の結果、乗組員はつぎつぎに倒れます。「糞壷」と呼ばれる船底は、汚れていて異様な臭気が蔓延しています。ズタ袋に入れられた死体が、オホーツクの海に投げこまれます。そんなときに、同じ蟹工船の秩父丸から救難信号SOSが入ります。救助に向かおうとした船長を、監督の浅川がどやしつけます。
 
――お前なんぞ、船長と云ってりゃ大きな顔をしてるが、糞場の紙位えの価値もねえんだど。分かってるか。――あんなものにかかわってみろ、一週間もフイになるんだ。冗談じゃない、一日でも遅れてみろ! それに秩父丸には勿体ない程の保険がつけてあるんだ。ボロ船だ、沈んだら、かえって得するんだ。(本文P31より)

結局、秩父丸は沈没します。乗組員の怒りが一気に噴出します。

◎「静」と「動」の交錯

『蟹工船』は、明確な意図をもった作品です。本文中に多用される擬声語や畳語は、大衆受けをねらったものです。

――風がマストに当たると不吉になった。鋲がゆるみでもするように、ギイギイ(山本藤光註:本文は縦書きなので、「く」の字のような繰り返し記号が用いられています)と船の何処かゞ、しきりなしにきしんだ。宗谷海峡に入った時は、三千噸(トン)に近いこの船が、しゃっくりにでも取りつかれたように、ギク、シャクし出した。何か素晴らしい力でグイと持ち上げられる。(本文P22より)

小説などめったに読まない労働者を意識したため、引用例のように聴覚や視覚を意識する文章になっています。本書の下敷きになったのは、葉山嘉樹『海に生くる人々』(岩波文庫)でした。小林多喜二『蟹工船』に感銘を受けた方には、お薦めの作品です。この作品は、ドストエフスキー『罪と罰』(上下巻、新潮文庫)の影響を受けています。できればそこまでさかのぼって、読書の醍醐味を味わってもらいたいとも思います。
 
監督・浅川の理不尽な暴力に耐えきれなくなり、やがて労働者は立ちあがります。「学生あがり」といわれている若者が「殺されたくない者は来たれ」の旗を立てました。船員、ボイラーマンなどが、それに呼応しました。彼らは仕事の手をゆるめはじめます。やがて、浅川はその実態を知ります。駆逐艦に連絡され、無残な結末を迎えます。
 
労働者の内面の動き。荒れ狂う外海の猛々しさ。いかなる現実にも心を動かさない浅川。本書は内面の「静」と外面の「動」を巧みに描きわけています。ただし静的な部分は自嘲気味におさえ、動的な部分でそれを包みこんでいます。

小林多喜二は念入りな取材を重ね、見事な作品をつむぎだしました。その点について、小林多喜二が蔵原惟人(くらはら・これひと)宛書簡につぎのように書いています。
 
――「資本主義は未開地、植民地にどんな<無慈悲>な形態をとって侵入し、原始的な<搾取>を続け、官憲と軍隊を<門番><見張番><用心棒>にしながら、飽くことのない虐使をし、そして、いかに、急激に資本主義的仕事をするか」を書きたかった。(小田切進『日本の名作・近代小説62篇』中公新書P128より孫引きさせてもらいました)

新潮文庫の解説は、蔵原惟人によって書かれています。小林多喜二『党生活者』の巻末には、「この一篇を同志蔵原惟人におくる」と書かれています。蔵原惟人には『芸術におけるわが生涯』(上中下巻、岩波文庫)という著作があります。しかし書店では見あたりません。

◎ちょっと寄り道

『蟹工船』は、現代につながる物語です。なにも特殊な時代の物語ではありません。プロレタリア文学というジャンルは死語と化しましたが、小檜山博『出刃』(河出文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)などにより、くっきりと貧農の世界は描かれています。前出の葉山嘉樹(はやま・よしき)は、『セメント樽の中の手紙』(角川文庫)を紹介させていただきます。

少し長いのですが、奥野健男『日本文学史』(中公新書)より、小林多喜二についてふれた文章を引用しておきたいと思います。奥野健男は「プロレタリア文学」に関して、批判的な立ち位置にいる文芸評論家です。
 
――志賀直哉の文学に心酔していた小林多喜二は、小作人たちの悲惨な生活を知り、しだいにマルキシズムに近づき、共産主義者への弾圧と警察の拷問を暴露した『一九二八年三月十五日』(昭和3年)を「戦旗」に発表し注目され、ついで虐待されている労働者の集団と闘争とを新鮮な立体的な文体で描いた『蟹工船』(昭和4年)によって、プロレタリア作家としての地位を確立しました。彼は蔵原惟人を中心とするナップの政策的文学理論にもっとも忠実な作家で、『不在地主』(昭和4年)、『工場細胞』(昭和5年)などの作品を経て、政治優位性、前衛の観点、政治的実践など、ほとんど実行不可能なナップの運動理論と命令とを超人的な努力によって実践しながら作品化し、非合法運動の実践的私小説といえる『党生活者』(昭和8年)にいたります。(以上引用、P119)

文学史的に、プロレタリア文学を取り巻く系譜を整理しておきます。
・プロレタリア作家:小林多喜二、葉山嘉樹、徳永直
・プロレタリア転向作家:中野重治、高見順、宮本百合子、佐多稲子
・反プロレタリア作家:井伏鱒二、梶井基次郎

(山本藤光:2009.12.03初稿、2018.03.02改稿)

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