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河野多恵子『後日の話』(文春文庫)

2018-02-26 | 書評「こ」の国内著者
河野多恵子『後日の話』(文春文庫)

舞台は17世紀イタリア、トスカーナの小都市。思わぬことで殺人犯となったジャコモは、斬首刑に処せられる直前、面会に来た若妻エレナの鼻を食いちぎった!遺された妻が送ったその後の人生とは?地中海に面した町で繰り広げられる、この上もなく美しくグロテスクで恐ろしい物語。(「BOOK」データベースより)

◎特異な世界を描く

 1960年から1970年にかけて、代表的な女流作家といえば河野多恵子と倉橋由美子(推薦作『スミヤキストQの冒険』講談社文芸文庫)だと思います。2人の共通点は、非日常の世界を確かな文体でつむぎあげることです。「性」や「嗜虐(しぎゃく)」からは、けっして逃げません。まともに懐にひきいれ、独特な感性でそれらを読者につきだしてみせます。読者にはこびません。この揺るぎない姿勢が好ましいのです。
 
 もうひとつ河野多恵子作品の魅力は、登場人物の造形の妙です。一人ひとりをていねいに創りあげ、活き活きと舞台を動かします。人形師が自ら造りあげた人形を、観客(読者)に向けて操っているかのようです。河野多恵子の作品には、そんな感じを受けています。自らが創作の原点にふれている文章があります。引用してみます。

――エミリ・ブロンテは牧師館の老嬢だった自分に密着せず「嵐ケ丘」のヒースクリッフやキャサリンを創作したがために、自分の内部を完全に表現し、人間存在を謳い切ることをなし得たのではなかろうか。が、彼女は自分に発して自分を空高く飛翔させたけれども、私の場合は竹トンボくらいしか飛んでくれない。そして、しばしば落っこちる。中には、その地面に落っこちた部分のほうが面白いといってくださる方もあり、私は自分の至らなさを知らされてつらいのだが、やはりこの方法で進みたいと念願している。(毎日新聞社学芸部編『私の小説作法』1975年雪華社P170より)

 河野多恵子を、一言で表現するのは難しいことです。私はつぎに引用する一文が、もっとも的確に女流作家・河野多恵子を表現していると思っています。

――河野多恵子は、女流のうちでも外界にたいする殺意や幻想界への嗜好を具えた異色の存在で、奔放な夢想の世界のもつリアリティーが、作風の特性を示している。(松原新一・磯田光一・秋山駿『戦後日本文学史・年表』1979年講談社、P330より)

 河野多恵子を理解するうえでもっともふさわしいのは、『谷崎文学の肯定と欲望』(読売文学賞、中公文庫絶版)を一読することです。谷崎文学のマゾヒズムに迫った本書は、さまざまな谷崎潤一郎文学論のなかでも、特筆に価します。
 
◎若い妻の鼻をかみ切る

『後日の話』(文春文庫)は、実話がヒントとなって生まれた作品です。絞首刑を宣告された夫が、最後の別れに訪れた若い妻の鼻をかみきります。

 河野多恵子は舞台を、17世紀のイタリア・トスカーナ地方の小さな都市国家に設定しました。また鼻をかみちぎられた主人公をエレナとし、蝋燭商の次女としました。著者は設定の理由をつぎのように書いています。

――作中の場所は、やはりイタリアから択ぶことにした。それをどこにするか。時代を十七世紀に設定した理由の一つは、場所との関係だったが、昔は繁栄していて、今は忘れられている土地がよさそうだった。作中では名を伏せてあるが、トスカーナ地方の地中海に面した、その場所を択んだ。鼻を噛み切り、噛み切られた夫婦は、ともにひとかどの商家の生まれの設定にする考えは、すでに兆していた。(「本の話」1999年2月号より)

 この設定が成功しています。著者は古風な港町と、そこに暮らす人々をていねいに描き上げます。また当時の習慣やにぎわいを、豊富な語彙(ごい)で挿入しています。

 河野多恵子の初期小説は、幼児誘拐(『幼児狩り』新潮文庫、『不意の声』講談社文庫)や夫婦交換(『回転扉』新潮社、文庫なし)をモチーフにすることが多々ありました。河野多恵子は『後日の話』で、まったく新しい世界を切り開きました。読者はなんの違和感ももたずに、作品のなかへ入りこめます。それはつぎのような懐の広い文体によるものです。
 
――市庁舎の前の広場で開かれている市へ、ジャコモとエレナは出かけて行った。幾並びにも露店がひしめき、人出で賑わっていた。(本文より)

――その地方では、きょうだい間に恋争いなどの特別の事情がなければ、都合よく結婚できるように、きょうだいが気を利かせ合う。互いに恋文の取り次ぎもする。(本文より)

 鼻を欠損したエレナは、うわさ話の好きな市民の格好のえじきとなります。また殺人者の妻として、不当な扱いを受けます。そんなエレナを、家族の慈愛に満ちた心が支えます。

 私がこの作品を今までとはちがうと感じたのは、著者自身の遊び心が見える点でした。これまでの作品は頭のなかだけで描きあげてきましたが、この作品は取材と膨大な資料を要しています。

 著者は17世紀の港町を、そこに住む人々を、楽しんで書いたにちがいありません。著者自身が、作品についてこう書いています。
 
――この作品での私自身といえば、幾重にも包まれて、影さえ見せない。これまでに書いた小説中、最も自分を包んだ作品。つまり最も深く自分に根ざした作品ではなかろうかと思っている。(「本の話」1999年2月号より)

 今なおその時代の面影を残しているだろうその町へ、行ってみたくなりました。

2015年1月30日の新聞に、河野多恵子さんの訃報が掲載されました。大学時代からずっと、本の魅力を提供してくれた偉大な作家です。ご冥福をお祈りいたします。
(山本藤光:2010.04.21初稿、2018.02.26改稿)

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