山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

アベック

2018-12-04 | 知育タンスの引き出し
アベック
古い雑誌の整理をしていて、ふと立ち止まった記事があります。穂村弘のコラムのなかに、
――大学の言語学の先生に、「アベック」が「カップルになったりするのはどうしてですか?」と質問してみた(「本の雑誌」2013年2月号)
というくだりがありました。先生は「わからない」と答えたそうです。

なるほど恋人同士を指す言葉として、「アベック」は、完全に「カップル」に置き換えられていると思います。では「アベック」は死語になってしまったのでしょうか? ネット検索したら、次のようなコメントがありました。以下はそのまとめです。

アベックは「使うと恥ずかしい死語」の第1位としているサイトがありました。しかしこの和製フランス語は、ある場所でだけ健在なのです。

野球中継で「アベックホームラン」などという表現は生きています。時代が変わっても、カップルホームランとはいいません。

「アベック」は野球場でのみ、生きつづけているのです。
山本藤光2018.01.17

316:形式知と暗黙知

2018-12-04 | 小説「町おこしの賦」
316:形式知と暗黙知
――『町おこしの賦』第10部:生涯学習の町

 二人のやりとりを聞いていて、詩織がいった。
「明里、それを勉強したら賢くなれるの? なら、私にも教えて。ただし、わかりやすくだよ」
「うん、授業料は高いよ。知には二種類あるの。一つは賢者が文字や言葉にした知。テキスト、データベース、講義などが代表例なんだけど。
もう一つの知は、文字や言葉に表しにくい知。こっちは、スキルやノウハウ、名人芸などのことなんだ。テキストなどのことを形式知といって、名人芸などを暗黙知というの」
「何となく、わかった」
「お母さんは若いころ、お父さんの大好きなキンキの煮つけを、勉強したっていっていたわね。それはテキストという形式知を見ながら、料理というスキル、暗黙知に変換していることなの」
「何だか偉そうなことを、している感じだね」
「そう、私たちは日常のなかで、知らないうちに形式知と暗黙知の変換をしているの。では、お母さんへの問題。テレビの料理番組を見て、必要なレシピのメモを取るのは、何から何への変換でしょうか?」
 詩織は考えこんでしまう。恭二は助け船を出す。
「料理番組はスキルだから暗黙知。それをメモにするのだから、形式知にしている」
「あたり。お父さん、すごいね」

「ナレッジマネジメントは、形式知と暗黙知を意図的に循環させることなの。たとえば、役場の例で説明すると、こうなる。課長は会議で、部下に成功例を発表させる。これは暗黙知から形式知への変換。経験したことを、しゃべるのだから、わかるよね。
次に発表された成功例を、課員がよりよいものに磨き上げる。これは形式知になったものに関するディスカッションだから、形式知と形式知の変換。
翌日課員は、みんなで磨いた成功例を、現場で実践している。これは形式知から暗黙知への変換。
最後に現場で課長は、やってみせてやらせてみる。これは暗黙知と暗黙知の交換。これでSECIは一回りしました」
 詩織は、ため息をついている。SECEは回っていないが、目が回ってきたのだ。恭二は大いに、ヒントをもらったと思った。


057cut:対(つい)をつなぐ

2018-12-04 | 完全版シナリオ「ビリーの挑戦」
057cut:対(つい)をつなぐ
――09scene:プロフェッショナル魂
影野小枝 喫茶店「場」です。漆原さんは常連客と話をしています。
漆原 この前、うちのメンバーを5日間缶詰にして、1年間のプランニングをしました。いちばん受けたのは、仕事バリバリ家でゴロゴロのフレーズでした。みんな同感で、全員が日常を磨く決意表明をしたのですよ.
常連C できるやつって、一様に子煩悩であり家庭を大切にしている。
常連E おれの部下を思い浮かべてみたのだけど、優秀な連中はなるほど家庭を大切にしている。
常連C だろう。おれの鋭い感性は、捨てたものじゃないだろう。
常連D 単身赴任に安住して、ゴルフ三昧で家族のもとに帰らない。Cさんの口から、家庭の話が飛び出すとは思わなかった。
常連C 墓穴を掘ったかな。手厳しいご指摘をありがとう。
漆原 対(つい)をつなぐって、本当に大切なことですよね。
常連F そういえば、本社から山のように届く資料には、ロクなものがない。まったく現場のニーズに合致していない。これも現場と本社という対がつながっていない典型だな。
漆原 つながなければならない対って、たくさんありますね。上司と部下、親と子、妻と夫、形式知と暗黙知……。
常連C 姑と嫁、現在と未来……。
常連D 美女と美男、役員と組合……。
漆原 これらのすべてをつなげるとなると、たまりませんね。
常連D 欲張らないことだね。何をつなげるかを明確にして、着実に実行すればいい。

061:「は」か「が」か?

2018-12-04 | 銀塾・知だらけの学習塾
061:「は」か「が」か?
――第4講義:書く
以下の記事は『妙に知(明日)の日記』で紹介済みです。そちらを読んだ方はパスしてください。

日本語を習う外国人が一番苦手なのは、鉛筆の数え方です。1ぽん、2ほん、3ぼん、4ほん、と不規則に変化するのが、どうしても理解できないのです。外資系の会社にいたので、「なぜだ?」と質問されたこともあります。いまだにわかりません。

「ニホン」か「ニッポン」かで、もめたこともありました。今は「ニッポン」で統一されたと聞いていますが、「ニホン」との発音はまだまだ目立ちます。

文章を書いているとき、「は」なのか、「が」なのかに迷うことがあります。

・わたしは、山本藤光である。
・わたしが、山本藤光である。

2つは似ていますが、音の響きは大きく異なります。井上ひさしは著書(ごめんなさい。出典は不明です)のなかで、次のように説明しています。

「は」よりも「が」の方が、偉そうに聞こえます。つまり、「が」は強調のために用いられているのです。聴衆に向かって、お前たちはとうに知っていると思うが、の意味合いが強調されているわけです。さらに「は」と「が」の使い分けについて、井上ひさしは次のように説明します。

――むかしあるところに、おじいさんとおばあさん「が」住んでいました。おじいさん「は」、山に芝刈りに行き……。

これは日本昔話の、冒頭のフレーズです。みごとに「が」と、「は」が、使い分けられています。

この例文で「は」と「が」を取り違えて、覚えている人はいないと思います。この順番には確固たる意味があったからです。

「が」は、未知のときに用います。「は」は、既知のときに用います。これが、井上ひさしの教えです。つまり物語の最初では、読者にとって、おじいさんもおばあさんも未知の人なのです。未知のものには「が」を用います。

そして2人が「住んでいました」と一度紹介しているので、次のフレーズは、「おじいさんは」となるというわけです。

JR駅のプラットフォームで、おなじみのアナウンスです。
――危ないです〇〇、白線の内側までお下がりください。
 〇〇には、どんなひらがながはいりますか? 塾長はこのアナウンスにずっと違和感がありました。そのことはブログに書いたこともあります。さっきネット検索をしたら、同じ違和感を持った人の文章に出会いました。

決心したこと

2018-12-04 | 妙に知(明日)の日記
決心したこと
12月1日から「毎朝散歩」を日課とすることを決めたのは、11月初旬の暖かな午後でした。なぜ「明日から」としないのかは、あまりやる気がないからだと思います。12月2日にふと頭をよぎったことがあります。「そういえば、昨日から毎朝散歩をするはずだった」。腰の万歩計は一向に1000を超えることはありません。動物園の白熊みたいに室内をうろうろしているだけですので。
山本藤光2018.12.04

黒川創『鶴見俊輔伝』ゲット

2018-12-04 | のほほんのほんの本
黒川創『鶴見俊輔伝』ゲット
黒川創『鶴見俊輔伝』(新潮社)購入。私にとって深く考えることを、もっとも平易に説明してくれた、鶴見俊輔の一生を知るのは楽しみな時間です。分厚い本なのですが、もっと鶴見俊輔を理解するための一助としたいと思います。すでに鶴見俊輔『思い出袋』(岩波新書)は「500+α」で紹介済みです。執筆にあたり簡単な経歴は調べたのですが、もっと本格的に踏み込んでみます。
山本藤光2018.12.04

外連

2018-12-04 | 知育タンスの引き出し
外連
外連。この漢字を読めますか。けれんみがない、の「けれん」なのですが。語源がおもしろいので紹介します。

――歌舞伎や人形浄瑠璃では、奇抜さをねらった演出を「外連」という。離れ業、早変わり、宙乗りなどがそれで、そこから、はったり、ごまかしという意が派生した(日本語語源辞典)

「けれんみがない」はよく耳にしますが、ほとんどの場合は否定形でもちいられています。
山本藤光2018.12.04