NHK テレビ ”仕事学のすすめ”よりの抜粋
今回の出演者は日本で一番予約が取れないお店の
シェフ落合務さん、聞き役は明治大学印教授野田稔さん。
落合さんは東京オリンピックの時に総料理長を務められた
村上信夫さんにあこがれて、1964年、17歳でフレンチの
料理人になられて、1975年、28歳で念願のフランスへ。
一ヶ月滞在、名だたる三ツ星レストランで食べ歩き、味と
技術に感動した。 その帰途、飛行機の都合で、偶然
イタリヤのローマに降り立ち、本物のイタリヤ料理に出会い、
感動。
目の前でさっと作ってくれたフットチーネのおいしさに
びっくり。何もいれていなかったのにと不思議に思った。
野田さんは落合さんのフェットチーネをおいしいと言って
召し上がった。
フェットチーネはパルメザンチーズとバターとゆで汁を少し
だけ入れたお料理、さほど手をかけていないのに、毎日食べ
ても飽きないおいしさ、フレンチの修行を続けてきた落合さ
んには衝撃でした。
当時の日本でのイタリヤ料理は、アメリカ経由で、トマト
ケチャップ、タバスコと振りかけるチーズと言う三種の神器
が使われていたのに、そのどれもなかったのに、おいしいのは
と、日本へ帰ってってきていろいろ調べた。 日本の油は
いろいろな種子からとっているが、オリーブは実のジュース
だと気がついた。魚を焼いてもソースはかけない。オリーブ油
をかける。日本では焼き魚にお醤油をかける。フレンチ料理の
元はイタリヤ料理だったということも知った。
次に野田さんに出されたのが、落合さんがイタリヤ南部の
イスキアでいただいて感動した蛸とセロリのサラダ。食感の違
う二つの食材をレモンたっぷりのドレッシングでいただくもので、
野田さんは、蛸がとても軟らかいと言われたら、落合さんは、
日本では、ぷりぷりしていると言うのが好まれたりするが、
イタリヤでは軟らかいのが好きで、最初目の前で作るのを見た
ときには、大きなお鍋を、ごく小さなガスにかけるので、何で
そんなやり方をするのか、隣の大きな火でやればいいものをと
やわらかくしあげるために、ごく小さい火で沸騰させないで煮る
やり方だと聞いて、1時間半も煮ていて、本当に軟らかくおいしく、
僕は彼らのやることを馬鹿にしていた自分を反省しました。
彼らの先祖代々の継承されている業と知識があると知りました。
間単に作れそうで作れないイタリヤ料理の奥深さがあるんです。
落合さんがイタリヤに行ったのは1978年31歳のときでした。
ほとんど日本人はいなかった時代でした。ローマを振り出しに、
ボローニャ、ナポリ、フィレンツェ、シチリヤ。気に入った
レストランを見つけて交渉します。
”給料いらない。 修行させてくれ。飯だけ食べさせてくれ。”
修行した店は20店を越えている。
次に野田さんに出されたのはニョッキ。ローマのレストランでは
週に一度、トマトとバジルのニョッキを作った。
野田さん
”私が今まで食べたニョッキはもっと硬かった。”
”そうですね。ニョッキは粉が多いと硬くなっちゃうんですね。
ジャガイモが入るとふわっとするんです。”
当時声楽家とか音楽家の方がイタリヤへ留学されていた方も
多かったそうだが、日本人とはつきあわなかった。
落合さんはイタリヤ人と付き合うのが面白くて・・・。
僕なんか、団塊の世代ですから、小学校でも
中学校でも先生にバシッと叩かれたりした時代だったんですが、
”たて”社会でしたが、イタリヤでも当然”たて”社会では
あるんだけれども、平等で、飯なんか食っても、俺は俺の都合
で遅くなっているんだから、温かいうちに食え、先輩が食わな
いから食わない、仕事が終わったら帰れ、先輩が帰らないから
帰らない、そんなのは止めろと言われたそうだ。
つらいことは何もなかった。ただ”餡こ”が食べられないのが
辛かったとか。
野田さん
”いくら(たて)社会でなくても、厨房のような戦場のよう
なところでは、、、?”
”僕は給料は要らないって言っているので、彼らはすごく僕
には寛大なんですよ。一度寝坊して、タクシーで行ったんで
すが、
”なんでタクシーで来るんだ、もったいないからタクシーなんか
で来ないでゆっくり来ればいいんだ、お前には給料を払って
いないんだから・・・。”
だんだん半年とか一年とか立って、給料をもらえるようになると、
責任もでて来るんですがそれでも、一度もいやみを言われたこと
がなくて、 本当に楽しかった。 いじめられたことが一度も
なかった。 通じなかったのかな?(笑い)”
野田さん
”落合さんめちゃくちゃイタリヤに合ってっていたのでしょうね?”
落合さん
”自分で言うのもおかしいけど、僕は前向きなんですよ。過ぎたこと
を言ってもしょうがない。すんだこと言っても始まらないし、それが
戻ってくるなら言うけど、・・・・この間、すみまっせん、ぜんぜん違
うんだけれど、僕の愚痴っぽい話、聞いてね。うちのお皿は高いん
ですよ。一枚3800円。そのお皿をうちの若い者に 20枚割られて
うわあっと思ったけれども、すみませんて言ってっているんだから、
今度から気をつけてねって言うよりしょうがなかった。
(つづく)
今回の出演者は日本で一番予約が取れないお店の
シェフ落合務さん、聞き役は明治大学印教授野田稔さん。
落合さんは東京オリンピックの時に総料理長を務められた
村上信夫さんにあこがれて、1964年、17歳でフレンチの
料理人になられて、1975年、28歳で念願のフランスへ。
一ヶ月滞在、名だたる三ツ星レストランで食べ歩き、味と
技術に感動した。 その帰途、飛行機の都合で、偶然
イタリヤのローマに降り立ち、本物のイタリヤ料理に出会い、
感動。
目の前でさっと作ってくれたフットチーネのおいしさに
びっくり。何もいれていなかったのにと不思議に思った。
野田さんは落合さんのフェットチーネをおいしいと言って
召し上がった。
フェットチーネはパルメザンチーズとバターとゆで汁を少し
だけ入れたお料理、さほど手をかけていないのに、毎日食べ
ても飽きないおいしさ、フレンチの修行を続けてきた落合さ
んには衝撃でした。
当時の日本でのイタリヤ料理は、アメリカ経由で、トマト
ケチャップ、タバスコと振りかけるチーズと言う三種の神器
が使われていたのに、そのどれもなかったのに、おいしいのは
と、日本へ帰ってってきていろいろ調べた。 日本の油は
いろいろな種子からとっているが、オリーブは実のジュース
だと気がついた。魚を焼いてもソースはかけない。オリーブ油
をかける。日本では焼き魚にお醤油をかける。フレンチ料理の
元はイタリヤ料理だったということも知った。
次に野田さんに出されたのが、落合さんがイタリヤ南部の
イスキアでいただいて感動した蛸とセロリのサラダ。食感の違
う二つの食材をレモンたっぷりのドレッシングでいただくもので、
野田さんは、蛸がとても軟らかいと言われたら、落合さんは、
日本では、ぷりぷりしていると言うのが好まれたりするが、
イタリヤでは軟らかいのが好きで、最初目の前で作るのを見た
ときには、大きなお鍋を、ごく小さなガスにかけるので、何で
そんなやり方をするのか、隣の大きな火でやればいいものをと
やわらかくしあげるために、ごく小さい火で沸騰させないで煮る
やり方だと聞いて、1時間半も煮ていて、本当に軟らかくおいしく、
僕は彼らのやることを馬鹿にしていた自分を反省しました。
彼らの先祖代々の継承されている業と知識があると知りました。
間単に作れそうで作れないイタリヤ料理の奥深さがあるんです。
落合さんがイタリヤに行ったのは1978年31歳のときでした。
ほとんど日本人はいなかった時代でした。ローマを振り出しに、
ボローニャ、ナポリ、フィレンツェ、シチリヤ。気に入った
レストランを見つけて交渉します。
”給料いらない。 修行させてくれ。飯だけ食べさせてくれ。”
修行した店は20店を越えている。
次に野田さんに出されたのはニョッキ。ローマのレストランでは
週に一度、トマトとバジルのニョッキを作った。
野田さん
”私が今まで食べたニョッキはもっと硬かった。”
”そうですね。ニョッキは粉が多いと硬くなっちゃうんですね。
ジャガイモが入るとふわっとするんです。”
当時声楽家とか音楽家の方がイタリヤへ留学されていた方も
多かったそうだが、日本人とはつきあわなかった。
落合さんはイタリヤ人と付き合うのが面白くて・・・。
僕なんか、団塊の世代ですから、小学校でも
中学校でも先生にバシッと叩かれたりした時代だったんですが、
”たて”社会でしたが、イタリヤでも当然”たて”社会では
あるんだけれども、平等で、飯なんか食っても、俺は俺の都合
で遅くなっているんだから、温かいうちに食え、先輩が食わな
いから食わない、仕事が終わったら帰れ、先輩が帰らないから
帰らない、そんなのは止めろと言われたそうだ。
つらいことは何もなかった。ただ”餡こ”が食べられないのが
辛かったとか。
野田さん
”いくら(たて)社会でなくても、厨房のような戦場のよう
なところでは、、、?”
”僕は給料は要らないって言っているので、彼らはすごく僕
には寛大なんですよ。一度寝坊して、タクシーで行ったんで
すが、
”なんでタクシーで来るんだ、もったいないからタクシーなんか
で来ないでゆっくり来ればいいんだ、お前には給料を払って
いないんだから・・・。”
だんだん半年とか一年とか立って、給料をもらえるようになると、
責任もでて来るんですがそれでも、一度もいやみを言われたこと
がなくて、 本当に楽しかった。 いじめられたことが一度も
なかった。 通じなかったのかな?(笑い)”
野田さん
”落合さんめちゃくちゃイタリヤに合ってっていたのでしょうね?”
落合さん
”自分で言うのもおかしいけど、僕は前向きなんですよ。過ぎたこと
を言ってもしょうがない。すんだこと言っても始まらないし、それが
戻ってくるなら言うけど、・・・・この間、すみまっせん、ぜんぜん違
うんだけれど、僕の愚痴っぽい話、聞いてね。うちのお皿は高いん
ですよ。一枚3800円。そのお皿をうちの若い者に 20枚割られて
うわあっと思ったけれども、すみませんて言ってっているんだから、
今度から気をつけてねって言うよりしょうがなかった。
(つづく)