積極的な営業店長さんのリクエストで、年末のお客様ご挨拶回りに付き合った。
本店営業部に二日間
北方支店に1日間、
役員帯同訪問という恒例の修行なんである。
地域金融機関に席を置くものとしては、現場に行くことは極めて大切なことなんである。
役員だから行くのではなく、お客様から教えて貰いに行くんである。
そして、その結果、厳しい経済状況を肌で感じることができるからだ。
生のお客様のお声を時下に拝聴することができるからだ。
多難で悩み多き世相ではあるが、
答えは現場にあり、しかも無造作に転がっているものだ。
本当は山内支店にも行きたかったし、鹿島も、嬉野も・・・・・・
要請がなければ行けない哀しさ。
「ああ私は籠の鳥なんであろうか・・・・・。」
などと思ったりした。
お客様が待っておられるような気がしてならない。
黒い渉外バッグを小脇に抱え
玄関をノックしてお伺いする
若い頃バイクにまたがって、訪問を繰り返してきたが、
すべてはお客様からしか始まらない、生まれないということを心に刻み込まされた。
真理とは実に単純なものなんである。
私たちの仕事とはお客様に会っただけ、歩いただけ、汗をかいただけ、怒られただけ、断られた数だけ
必ず結果がついてくるものなのだ。
暖房の効いた本部の部屋の中に答えはない。
寒風吹きすさぶお客様の家の玄関ポーチにそれは存在する。
田舎の小さな地域金融機関の戦い方とは、そういうものなのだ。
分母はお客様しかない。格好だけでなく、徹頭徹尾お客様を大切にすること。
信用金庫に身を置かせて頂いて38年、お客様から教えられた真理に間違いはないのだ。
今年あるセミナーで信用金庫の理事長さんのお話を拝聴したのだが、そのお話もまた味わいの深いものであった。
100万円の担当者として初めての融資の話なのだが・・・・・、
一昔前の別府・・・・・温泉地ならばこその話でもある。
ある女性の日掛け集金で毎日通っていて、きちんと積立金が準備されている実績を見るにつけ、このお方なら間違いはないと確信した若き渉外マンの頃の理事長は、
その女性からの100万円の融資の要請を代理に掛け合い、次長に掛け合ったのだが、公序良俗に抵触する職業との理由でダメだという。
しかしそれでも尚、くいさがる一担当者に対して、その時の本店営業部長さんが偉かった。
「毎日通っているS君の現場の感覚を尊重しよう・・・・。」
店内協議の結果、見事に渉外担当としての初めての融資案件は彼の熱意で通ったのである。
そしてそれは、ちゃんと人を見て融資をすれば間違いはないという、黄金律を肌で感じ取った瞬間でもあるのだ。
これは理屈ではない。与信とはそういうものなのだ。
その人のご商売とは大きな声では言いにくいのだが、まあ「春を売るお方」であったというのだ。
返済がきちんと履行されたのは言うまでもない。
その人情話にも通じる逸話が理事長さんから堂々と語られた時に、実に信金マンらしい深い話、そして温泉地らしく温かい話であると、心から感銘を受けたのであった。
すべてはお客様から教えられてきた私達
来年は少しは景気が良くなってくれることを願うばかりである。