風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

おとうさんは犬

2011年09月15日 23時59分59秒 | 風竿日記

ソフトバンクのCM、父親は犬なんである。

そしてお母さんが若尾あや子さんで、お兄さんは黒人のあの方、娘が上戸あや

最近は焼き鳥やの親父役で小林旭までご出演

でもこんな訳の判らないナンセンスなストーリーを誰が思いついたんであろうか・・・・・。

そのお父さん役の本当の子供は、北海道の白老町のアイヌに暮らしていた。

お父さんは北海道犬なんである。

となるとソフトバンク一家のルーツは北海道開拓の屯田兵だった可能性もある訳で、ますますその謎は深まるんである。

CMにも短時間ながら起承転結が求められるものであるが、くだんのそれは、まさに転が永遠に発展型で広がっている。

こんな自由な発想の展開は今までに無い、新しい形だ。

このお方が本当の息子さん・・・・・。

アフラックのダックと猫の組み合わせも実にいい。

 猫とアヒルが力をあわせて皆んなの幸せを・・・・・

クリスマスバージョンなどとても好評であった。マイ・フェバリット・CMがこれ


夢のあるキャスティングとストーリーの展開

ひぜしんのCMもとてもいいと好評をはくした。


 

 

私達ももっと現実を離れて、思い切った夢のストーリーを思い描くことで、現在の経済の閉塞感は思わぬところから脱出口が見つかるのではなかろうか・・・・。

そんな気がしてならないんである。

ねえ、犬のお父さん。

 


カモメはかもめ

2011年09月14日 23時59分37秒 | 風竿日記

♪ 諦めましょう 貴方のことは・・・・

って歌がありました。中島みゆきの古いナンバー

哀愁を帯びたメロディラインの素晴らしさ、昭和の名曲なんであります。

そのカモメ、実は海に棲んでいるとばかり思っていました。

ところが、湖にも生息しているんですね。

これもささやかな北海道での成果

洞爺湖のカモメは随分と人に慣れていました。

餌付けの成果なのでしょう。

手渡しででも餌を食べる、なれなれしさ。

そして北海道では今アジサイが咲き誇っていました。

日本列島は長いんだなぁと改めて思わされました。

短い夏が終ると10月には冬が来るというのに、

アジサイは短い夏を精一杯咲いて、自分の存在をアピールしていました。

その洞爺湖では、夜になると夜毎行われるある営みが・・・・・

遊覧船も綺麗にライトアップされて、幻想的なおとぎの国の船に様変わりします。

洋上で花火大会を堪能しようという贅沢なクルーズ

一般庶民の私達は、灯りを消したホテルの窓辺から鑑賞したのでありました。

湖水の上の花火もまた一興なり

至福のひとときを一人の窓辺で

三脚を持ってきてなかったので、撮影は中々難しい

シャッターを押すタイミングと手ぶれが・・・・素人の悲しさ

でも少し慣れてくると『コツ』が判ってきます。

っとまあ・・・・・・こんな具合

洞爺湖では4月から9月の間、毎日花火大会が行われているそうでして、観光客を愉しませているのだとか・・・・・。

従って洞爺湖のカモメは毎日花火を見ている訳です。

道理で、あんましもの応じしない堂々とした態度・・・・・。

でもカモメはカモメなんですね。白鳥にはなれない。

カモメにも白鳥になれない、飛べない人間の私。


Mr.moonlight 記念日

2011年09月12日 21時44分33秒 | 風竿の音楽夜話

煌々と月が出ていた

 今夜はこの歌しかない


 

 

 

この歌に尽きる


 

この歌、武雄にも2回来た、私とも共演したリッキーも唄ってる。


ビートルズが日本にやってきた時、日本公演の模様がテレビで放映された時・・・・・。

早朝の都市高を走り抜けるキャデラックと一緒に、この曲がバックに流れた時の戦慄

それ以来頭を撃ち抜かれた私はビートルズの虜になった。

ビートルズのDNAが私の細胞を支配した記念日なんである。

今夜、とてもいい月が出ておりましたね。

Mr.moonlight 僕の部屋の窓辺も照らして下さいね。

震災で家族を失くしたあの人の窓辺も、優しく照らしてあげて下さいね。

そう、今夜は私達ビートルズフアンにとって特別な日

日本では中秋の名月といって月を愛でる日なのだけど

私達はMr.moonlight 記念日と申します。


半年経った、そして9.11の今日

2011年09月11日 22時29分16秒 | 風竿日記

メインの画像はムムリクさんのアート日記からお借りしました。

今日の哀しい記念日を弔うにはムムリクさんの絵しかない。

 

あの、あってはならない、起きてはならない大地震・大津波・原発事故から半年が経った。

被災された東北の各地では午後2時46分の「その時」に併せて、敬虔な祈りが捧げられたという。

あの日以来、とてもこのブログに大震災に関することは書けずにいた。

あんなに簡単に、ごく身近に生活していた尊い方々を突然亡くした方々の哀しみと憤りを思う時、とても書く気にはならなかったんである。

NHKでは終日現地からの特集番組を組んでおられ、地に足がついた報道振りで90点の出来栄え。

その中で知らされたのだが、今も復興は遅々として進んでいない。

政治も相変わらず政党間の駆け引きの繰り返しというていたらくである。

民主党でも自民党でもいいから、早く長期的な国家再生プランを国民に、とりわけ東北の皆さんに、示すべきであろう。

まったくもって日本の政治には失望してしまう。

そんな今日、アメリカの同時多発テロから10年が経った。

アメリカでは午前8時46分現地で黙祷が捧げられたという。

偶然の産物ではあろうが、11日ということと46分が不思議と共通している。何かの因縁を感じなくもない。

      

人類は科学・医学・商業の発達で快適な暮らしを手に入れた筈であったのに、突然予測も出来ぬ災害が口を広げて待っている事実を思い知らされる。

片やテロリストの残酷な大量殺人ではあるが、共に何の罪も無い多くの人々が突然の死と直面しなくてはならなかった事実は同じであろう。

自分でなくて良かったと、ホッと胸を撫で下ろしている場合ではないような気がする。

 

さて、今夜は東北とアメリカの犠牲者の魂に、この曲をレクイエムとして捧げ、共に祈りたいと思います。


 

締めくくりもムムリクさんのアート日記より・・・・・・

 

それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどのあかるさでした                           

                                笹井宏之


プロペラ

2011年09月08日 23時59分59秒 | 風竿の音楽夜話

佐賀で活躍するシンガーソングライター北村尚志さんは皆さんもうよく御存知でありましょう。

その彼が九州ひぜん信用金庫のために書き下ろした曲

それが「プロペラ」です。

先日の28日私が鹿島の仲間から還暦祝いをやって貰っている時に武雄のINPUTでは彼の5枚目となるCDアルバム発表記念ライブが開催されていたのでした。

その彼は長年一緒に音楽活動をしてきたベースマンの友人を亡くし、今失意のどん底にいます。

村田君という、寡黙ではありますが、何とも味のある男でした。

フューチャーキッズというバンドを作り上げてきた盟友が49歳という若さで突然旅立ってしまったのです。

 

ゴム動力の紙飛行機、小学生の頃よく作ったものです。

スーパーアロー号という紙飛行機は実によく飛んだものです。

ラジコンでもゼンマイ仕掛けでもない、ただのアナログなゴム動力の飛行機が、地元の丘を越え、川を横切り高く飛んでいくさまを信用金庫のイメージになぞらえて作ってくれた佳曲

今はこの歌を村田君のご冥福を祈りながら、あえて作者に逆にプレゼントしたいと思わされています。

どうかお聴き下さい。



アイヌの人々

2011年09月07日 23時59分59秒 | 風竿日記

北海道に行って驚いたことは、とにかく道路が広いこと、

広大な大地が、海が育む食べ物が美味しいこと、

北海道時間が存在すること

そして何より、先住民族たるアイヌの人々が名づけた地名がそのまま残っていることであった

札幌、稚内、紋別、登別、長万部、洞爺湖、苫小牧、白老、雄武、小樽、納沙布、摩周湖、阿寒湖、ウトナイ湖、どこに行っても先住民たるアイヌの人々が付けた地名なのである。

言い換えれば、それだけ北海道はアイヌ人の土地だったということなのである。

北方四島は日本固有の領土だとして北方領土返還要求がなされているが、元々はアイヌの人々が住んでいたアイヌの土地なんである。

内地の人が(北海道では本州の人の事を今でもこう呼ぶ、沖縄の人がヤマトンチューと呼ぶのと似ている)いわば北海道を侵略したのである。

アメリカの先住民インディアンが白人と一戦交えたのとは違い、アイヌの人々は心根が優しかったんであろう。倭人を静かに受け入れたふしがある。しかし松前藩を主体とした倭人との交易において、アイヌ人はことごとく騙され虐げられ、苦難の民族として細々と生きてきたのである。

私達日本人は純血な単一民族だなどと思っていたら大間違い、アイヌの人々を追いやって侵略した歴史を忘れてはならないのだ。

さて、アイヌの言葉は日本の言葉にはない不思議な響きがある。

結婚はウトムヌカラ、ウ=互い、トム=方、ヌカラ=見る、互いを見つめ合うこと。


もう一つの言い方にマテト°ン、マツ=妻、エト°ン=借りる、があり、お嫁さんはもらうものではなしに借りるもの、ということです。(勿論神様からではなく、相手の氏族集団から借りる。)

内地の人は嫁を貰うというのだが、奥ゆかしいアイヌの人々は結婚するとき嫁を借りると表現したのである。

 白老町のアイヌ歴史資料館はアイヌの民俗音楽や舞踏などが間近で見られる観光スポットなんであるが、

私には蝦夷征伐の時代から随分と酷いことをやってきた、私達日本人の血というものを考えさせるミュージアムに思えてならなかった。

アイヌ語はとうにすたれてしまい、学術研究の対象となっているに過ぎないそうだ。

わずかに北海道の地名に、そのよすがを遺すのみである。

自然を敬い、神を見出したアイヌの民の風習を見せて頂いたのだが、ちょっと哀しいショーであった。


ある理髪店にて

2011年09月06日 23時59分59秒 | 風竿日記

信用金庫に入庫して以来、鹿島支店に5年間勤務した私に昭和53年2月、新築なったばかりの「宮野町支店」勤務の下薙が降りた。

母方の祖父の菩提寺があるほかにまったく武雄に縁の無かった私は、まず情報収集先の確保と、地元のコミュニティに参加することから始めることにした。

コミュニティは地元の合唱団やまびこに入団して一段落。

当時の情報収集先は、1に床屋さん、2に米屋さん、3に酒屋さん、変った処では武雄温泉もいい情報源であった。

その中でも床屋さんは超一流の情報収集先と定義していた。

私は、周りの先輩の薦めもあって支店の近くにある「Yさんの床屋さん」に散髪に通うことにした・・・・・。

そこは当時、住み込みのお弟子さんがいつも5人くらい居るという有名な床屋さん

狭い店内には人がモコモコの状態で、その中を口髭をたくわえパンチパーマで彫りの深いメキシカンのようなマスターがハサミを片手に走り回っていた。

当時ニューブリードという楽団のバンドマスター「ダン池田」にそっくりのマスター。

それ以来、私はこの床屋さんの常連客に収まったんである。

今でも、月に一度この床屋さんに行く前に必ず電話で予約をするのが習慣となっている。

予約しないと、結構忙しくされていて「待ちぼうけ」をくらうことが多いからだ。

予約の時は電話で声色を変えて、わざと仰々しく・・・・

「もしもし、保健所ですけど今日立ち入り調査にお伺いしたいんですけど・・・。」

またある時には・・・

「あのぅですねぇ。国税なんですがねぇ、昨年の申告のことで、ちょっと調べさせて貰いたいんですがねぇ・・・・・。」

とか云うんである。

はじめは効果抜群で、明らかに電話の向こうの声が上ずっていたものだが、

さすがに最近は店のスタッフも慣れたもんで、

「どうぞ、うちは完全明朗申告、一円まで誤魔化したりしませんよ・・・。」

と、余裕なんである。

 

実は私はこの床屋さんから気配りの他にも多くのことを学んできた。

それはサービスの極意とは、お客様の(ちょっとうれしい)を引き出すこと。

五年ほど 前になるだろうか、暮れも押し迫ったある日、いつものように散髪を済ませ代金を払って帰ろうとすると・・・・

『尾形さん、年末キャンペーンでくじ引きをやっています。一枚引いて下さい。』

ええーっ、こんなことまでやるのかと思いつつ、勧められるままにくじを引く私

一枚引いてそのまま店員さんに渡すと

「ジャジャジャ-ン」といいながら、目の前でくじを開封

『あらーっ凄い、尾形さん特賞よ、特賞・・・・。』

店のスタッフが慌ててレジの前に大集合という演出

『凄い、凄い、凄い!!!』の大合唱なんである。

内心私の心は揺れていた。もしカラーテレビでも当ったらどうしよう。たった3,500円ほどの床屋代で豪華賞品でも当った日には気の毒で申し訳ないからだ。

それでなくてもここの床屋さんの気配りは、いつもさりげなくて最高なのに・・・・。

本気で特賞などと云われても困ってしまうと思っていた。

でもそれは私の取り越し苦労であったのだ。

『はい尾形さん、特賞の爪切りセットでーす。』

内心ホッとしながらも要らぬものでもないし、正直嬉しかった。

そして、ああこれだと気づかされたんである。

相手の心にプレッシャーを与えず、ちょっと嬉しいを感じさせるのが最高のサービスだということに・・・・。

ここの床屋さんはいつも必ずお見送りをなされる。

私の車が見えなくなるまで手を振って下さる。

 

北海道で見かけた囲炉裏のような、陽だまりのような暖かい床屋さん

誰にでも分け隔てなく優しく声を掛けられるマスター

人の良さが顔に出ている若マスター

サービスの本質を究められたお店

中味ともいえる本業の理髪は勿論、お客様をお迎えする前味、そして再来店に結びつく後味も相俟って、実にいい味を出されているのだ。

毎月髪切りに いくのが楽しみで仕方が無い、そんな私の大切な床屋さんなんである。

 


初秋の花

2011年09月05日 23時26分13秒 | 花の日記帳

北海道から帰ってきて休むまもなく、外せない仕事の会合があり、そのあとは嬉野市へ・・・・

介護施設にいる母親に会い、

そのあと市内で仲間と会合があり、

結局呑んで遅く帰り着き、疲れて泥のように眠りました。

月曜日デスクワークに復帰、机の上は山のような書類が・・・。

武雄市から頼まれている、ある評価の仕事も丁寧に済ませて

無事に北海道モードを切り替えました。

日々慌しくしていると、突然花を観たくなります。

初秋に咲くといわれる酔芙蓉の花が咲き始めました。

えも云われぬ美しさは、思わず『ホーッ!』と唸るため息付き

いつも思うのですが、一体どうしてこんなに美しい花が咲くのでしょうか?

川端の呑み屋街にも中町にも、鹿島の親不孝通りにも、佐賀の愛敬町にも、中洲にも、こんな綺麗な花は咲いていませんねぇ・・・・。

まるでカクテルドレスを纏った花嫁みたい・・・・。

昨年も一昨年もそう書いたような・・・・・。

朝の開花時は白無垢、そしてお昼過ぎると徐々にお酒を呑んだ女性のように(たまにそうでないレディもいらっしゃるようですが・・・・)ホーッと顔をピンクに染めていくのです。

だから「酔芙蓉」と申すのだそうでございます。

特に、とりわけ八重の酔芙蓉は妖艶であでやか

こんな年老いたおじさんでも、瞬時に恋に落ちてしまいます。

美しいものに言葉は要らないのですが、

やはり語りたくさせてしまう花

そして嬉しいことに、美しいにも拘らずトゲがない・・・・。

そんな酔芙蓉の酔っ払った姿を観たけりゃ、夕方にもう一度訪れることです。

「もう呑めません・・・・私を酔わしてどうしようというの・・・・。」

そんな喘ぎ声が聞こえてきそうな散歩道

ああ、理性を忘れてしまいそうな美しさ

こんなに酔っ払って・・・・おじさんが介抱してあげましょう。

 


さらば北海道

2011年09月04日 12時38分48秒 | 風竿日記

皮肉なことに帰る時になって日がさしてきました。


三泊四日の仕事を兼ねた北海道でしたが、今度来る機会があれば、一週間以上は滞在したいと思います。


九州にはない、ゆったりサイズの北海道は、私のライフスタイルにとてもあっているようです。

帰ったら、すぐ用事が三件、旅装を解く暇もありません。

心配していた飛行機は、ちゃんと予定通りに飛んでくれるようです。

4時に福岡に着いて、それから時間との闘いです。