風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

人情の機微に浸かる

2011年09月27日 22時49分58秒 | 風竿日記

前にも話しましたが、私には父も腹からの母もこの世に存在しません。

と申しますと天涯孤独の男のように聞こえますが、ところが私には、まるで兄弟のような自慢の従兄弟の兄貴と、その聡明なお嫁さんA子さん(ベストパートナー)が居て下さるのです。

    

実家を頼んでいた、三男の弟の死に至る様々なプロセスの中で文字通り隣組の従兄弟の存在が、これほどまでに身に沁みたことはありませんでした。

それは、まさしく人が人として最も光を放つ瞬間である「無償の愛」そのものであり、細やかな気配りに満ちた行動であり、人情の機微でありました。

さらには職場である「九州ひぜん信用金庫」の役職員皆様の暖かさが身に沁みた契機となった弟の死でありました。

人はいつかは死を迎えるものではあるものの、改めて臨終は感謝で覆い尽くされて旅立たねばならないと思わされました。

それは人として、けして一人では生きられないという絶対原則の中で、万物に感謝の誠を捧げるという、

人本来の美しさに気づかなければ、何のための人生ぞと思うからですが、

その意味からすれば、葬式と三日参りを終え、お世話になった隣保班の皆様へのご挨拶回りをしていて、

改めて人の有難さを、強く、強く思わされたことでありました。

         

役割分担の世の習い通りに、通夜から葬式という一連の悲しいセレモニーを、弟と協力しあって、

それなりに仕切らせて頂いて、弔問に駆けつけてくださる「お一人お一人」の心根の優しさに、

還暦を迎えたにも拘らず、今更ながらに只々有難くも、勿体無いという気付きをさせて頂きました。

        

けして派手ではない、寧ろ地味なお葬式ではありましたが、弟との永久の別れに際して学ばされたことは、けして小さくはありませんでした。

気が張り詰めていて、睡眠時間も充分ではありませんでしたが、心は研ぎ澄まされて、その分人の人情の機微に触れたささやかなセレモニーでありました。

      

改めて感謝と、そのお心に対して謝意を申し上げるばかりであります。

そして火葬場の白い煙と共に昇天して言った、我がおとうとの魂に対して、安らかなれと祈るばかりです。