北海道に行って驚いたことは、とにかく道路が広いこと、
広大な大地が、海が育む食べ物が美味しいこと、
北海道時間が存在すること
そして何より、先住民族たるアイヌの人々が名づけた地名がそのまま残っていることであった。
札幌、稚内、紋別、登別、長万部、洞爺湖、苫小牧、白老、雄武、小樽、納沙布、摩周湖、阿寒湖、ウトナイ湖、どこに行っても先住民たるアイヌの人々が付けた地名なのである。
言い換えれば、それだけ北海道はアイヌ人の土地だったということなのである。
北方四島は日本固有の領土だとして北方領土返還要求がなされているが、元々はアイヌの人々が住んでいたアイヌの土地なんである。
内地の人が(北海道では本州の人の事を今でもこう呼ぶ、沖縄の人がヤマトンチューと呼ぶのと似ている)いわば北海道を侵略したのである。
アメリカの先住民インディアンが白人と一戦交えたのとは違い、アイヌの人々は心根が優しかったんであろう。倭人を静かに受け入れたふしがある。しかし松前藩を主体とした倭人との交易において、アイヌ人はことごとく騙され虐げられ、苦難の民族として細々と生きてきたのである。
私達日本人は純血な単一民族だなどと思っていたら大間違い、アイヌの人々を追いやって侵略した歴史を忘れてはならないのだ。
さて、アイヌの言葉は日本の言葉にはない不思議な響きがある。
結婚はウトムヌカラ、ウ=互い、トム=方、ヌカラ=見る、互いを見つめ合うこと。
内地の人は嫁を貰うというのだが、奥ゆかしいアイヌの人々は結婚するとき嫁を借りると表現したのである。
もう一つの言い方にマテト°ン、マツ=妻、エト°ン=借りる、があり、お嫁さんはもらうものではなしに借りるもの、ということです。(勿論神様からではなく、相手の氏族集団から借りる。)
白老町のアイヌ歴史資料館はアイヌの民俗音楽や舞踏などが間近で見られる観光スポットなんであるが、
私には蝦夷征伐の時代から随分と酷いことをやってきた、私達日本人の血というものを考えさせるミュージアムに思えてならなかった。
アイヌ語はとうにすたれてしまい、学術研究の対象となっているに過ぎないそうだ。
わずかに北海道の地名に、そのよすがを遺すのみである。
自然を敬い、神を見出したアイヌの民の風習を見せて頂いたのだが、ちょっと哀しいショーであった。
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