いくらかのストレスを乗り越えて、こうやって、ただの原っぱの写真を拾おう。
時として、自分の体内にもやさしい時間が必要なのだ。
こんな、のっ原を眺めていると時折思い出す遠い記憶がある。
丁度今頃の季節、小学校一年生だった私は、まだ水の冷たい、でも水の綺麗な山の近くの小川に入って、シジミ貝を採った。
末期のガンで一向に食の進まぬ母のためにである。
夕餉に出されたシジミの味噌汁を啜った母は、にっこり笑って「ター坊、ありがとう!」と小さく呟いた。
当時母が死の床についているなど理解できる術もなかった。
まさかこの三月で永遠に会えなくなるなどと、思いもよらなかったのである。
実は、川から上がったとき、手も足も真っ赤だった。
とても辛かったのだが、母の「にっこり」で跳び上がりたいほど、とても嬉しかったのを覚えている。
人には、誰しもこんな「やさしい時間」があるものだ。
しがらみや、行き違い、誤解や不信、見に覚えのない中傷などの渦の中で、例えもがいたとしても、優しい時間の中にゆっくりと浸って、また出直すといい。
人は本来、皆、優しい存在なのだ。
春の色はそんな「やさしい時間」の光と彩色に満ちている。
どこにでもある平凡極まりない原っぱですら、命の喜びに満ち溢れている。
名前も知らぬ若草や、道端の雑草ですら、限りない優しさに満ち満ちている。
その生命の息吹にしばらく浸ってみようではないか。上質の温泉に浸かるみたいにである。
「明日」 平原綾香
倉本聡のドラマ「優しい時間」の主題歌だった歌です。
深い人間の愛を表現したいいドラマでしたね。
体内にもやさしい時間
素敵な表現ですね。
忙しい中にも、そんな時間を作っていらっしゃるからパワー存続なのですね。大事になさってくださ~い。
血液型性格診断法って、単なる統計学の上に成り立ったみたいに言われますが、20数年前、東大の医学研究科か何かで、染色体の7番目の縞に性格決定の因子が含まれてる事が解明されてます。故に、単なる統計学じゃなく医学的裏付のある統計学ですから、馬鹿にしてはなりません。
それでも血液学の権威から感情的に否定されると言うから、権威主義にも辟易しますよね。
草むらの写真から触発されてこの「優しい時間」というフレーズが出てきました。
同名のテレビドラマのテーマ音楽にも
みなさまの反応を期待していたのですが・・・
今日は一日家でのんびりしていますよ。
クッキングの一日です。
これでとてもさらに表現が伝わります。
ビジュアル化って大切なのですね。
いわば小説の挿絵みたいなものでしょうか。
何れにせよお褒め頂き恐縮・汗顔の至り
そんな・・・たいしたことはありませんよ・・・と謙遜しつつ誉められると舞い上がってしまうN(ナルシスト)型なのかも知れません。