NHKスペシャルで気仙沼人情商店街のことが採り上げられた。
さすが、NHKさん、秀逸な番組に仕上がっていた。
気仙沼信用金庫のことも200日密着取材でいい番組であったし、その前のクローズアップ現代でも同信用金庫のことが採り上げられ、このブログでも「頑張れ気仙沼信用金庫」として描いたことがあった。
「頑張れ気仙沼信用金庫」のブログは⇒ここ
さて採り上げられた気仙沼復興商店街は通称「南町紫市場」と呼ぶらしいのだが、震災前は、海岸近くに7つの商店街があり、およそ160店舗が営業していたのだという。
そのうちの9割が津波で壊滅状態になり、高台の紫神社に避難していた被災者仲間で話し合い、NPO法人気仙沼復興商店街を仮説の建物で7棟建設して、51店舗が営業を始めたのだという。
テレビではその中心になって動いた坂本正人さんの苦労にスポットがあてられていた。
震災後お役所仕事の壁を乗り越えながら、何度も暗礁に乗り上げて
やっと昨年のクリスマスに開店に漕ぎ着けられたのである。
坂本さんは飄々としておられて、中々味のあるお人であった。
視点が「商店街の復興による町おこし」に置いてあるのが素晴らしいと思った。
中小零細企業という言葉にすぐ反応する仕事をしている私は、そんなことで素直に感動したのであるが、インターネットで調べると商店街のfacebookが出てきたので、熱い想いをすぐに書き込みした。
Tamio Ogata 感動しました。昭和戦後復興の商店街が形成された過程と基本的には同じだと思いました。大店法が日本の商店街をだめにしましたが、ダメにしたのは商店街の価値観がバラバラだったからではと思いました。51店舗が足並みを揃えるのは理屈ではなく大変なことだと存じますが、復興の理念の下、どうか日本の商店街の再生のモデルとなるよう頑張って下さい。
-
<label class="deleteAction stat_elem UIImageBlock_Ext uiCloseButton" for="u16jd3_51"></label>Tamio Ogata 特産品があれば、インターネットで買えるようにして下さいましたら応援も出来ます。佐賀県武雄市ではfacebook良品として市長が地域産業興しをやってくれています。ご参考になさって下さい。
とまぁ、こんなコメントなのであります。
気仙沼復興商店街のfacebookはこちら ⇒ 気仙沼人情商店街
頑張れっ!怒涛の51店舗
お食事
あさひ鮨 | 寿司・和食 |
---|---|
アメリカンダーツバー A | バー |
居酒屋 まるきん | 居酒屋・食事 |
一福 | 居酒屋 |
n | スナック |
カフェ エール | 喫茶・食事 |
カプリコン | バー・食事 |
HALU | 洋風居酒屋 |
KARUTA | カフェ・雑貨 |
喫茶 マンボ | 喫茶・食事 |
K | スナック |
交流空間 フリーダム | 喫茶・食事 |
スティール ハート | スナック |
世界 | 割烹・仕出 |
タイム | スナック |
特急寿司 | 寿司 |
とんかつ勝子 | とんかつ・和食 |
○安 | 焼鳥 |
Hope | スナック |
焼肉 牛べぇー | 焼肉 |
商業(生鮮品)
亀山精肉店 | 精肉・気仙沼ホルモン |
---|---|
塚本商店 | 青果類 |
カネシチ村朝魚店 | 鮮魚類 |
フジヤ豆腐店 | 豆腐・大豆類 |
丸入商店 | 鮮魚類 |
商業(一般)
あげたてコロッケ屋 | 揚物店内飲食・持ち帰り |
---|---|
菓子舗サイトウ | 和・洋菓子 |
暮らし舎 麦 | 食器類・ギフト |
シャークス | サメ関連品販売 |
菅原印房 | 印鑑・印刷 |
ティンカーベル | アパレル・雑貨 |
(有)新潟屋刃物店 | 刃物・金物類 |
花久 | 生花 |
(有)ひまわり食品 | 魚類販売・加工 |
本間屋酒店 | 酒類・たばこ |
みなみまち青空市 | アパレル・雑貨 |
よろず屋メルシ | 衣料品 |
ランダーブルー | アパレル・雑貨 |
理想産業(有) | EM関連製品・自然食品 |
ミドリムセン | 電化商品 |
生活関連サービス
アッシュヘッド オノトラ | 理容店 |
---|---|
憩いの広場「元気」 | マッサージ |
ナツパーマ | 美容室 |
ヘアーサロン コマツ | 理容店 |
星美容室 | 美容室 |
南町薬局 | 調剤薬局 |
ラ・セーヌ美容室 | 美容室 |
学習塾・カルチャー
学習塾 すくーるホライズン | 学習塾 |
---|---|
クラフトルーム なか乃 | カルチャー教室・ギャラリー |
南町ドレミ教室 | ピアノ教室 |
cadocco | 子供の為のフリースペース |
ところがいいことばかりではなさそうだ・・・・。
その道すがら建物の基礎らしき工事が成されておりました。「商店街が出来るとのことで・・」とバスの運転手の方が言っていたのを今思い出しております。
当時ですら周辺は津波の被害そのままの建物が多く、こんなところで商売になるのかと疑問に思っておりましたが・・・驚きです。
熱い、熱い、人の情熱がなせる技。
何か力になりたいと向かった東北ボランティアでしたが逆にたくさんの事を教えてもらって帰ってきました。そしてまた今回も・・・。
私たちも負けていられませんね。
そして足し算でも引き算でもない現場の状況を見て、奉仕活動もなさってきたお方のご意見は貴重です。
百言を労するよりも一つの実践であります。
商店街が形成されにくい商業の現実を見るに付け、商いの原点は海彦、山彦の物々交換であり、市場であることを再認識しました。
温泉朝市もまた然り。
そこに商店街復興の鍵も必ずあるものだと思わされました。
そしてその商店街を構成する店主の結束力が不可欠・・・ということはいつぞや話した強いリーダーシップ力が、ということに落ち着きそうです。
武雄で言えば松原商店街は歯が抜けており、宮野町も中町も過去の商店街となってしまい、温泉通りだけは何とか生き残って貰いたいもの。
復興商店街は坂本さんというよき人材(戦略家でありヒューマニストである)を得て、今後注目されていくことでしょう。
いつか行ってみたい場所であります。