ここにひとつの茶碗がある。
400年も前、天正時代に長次郎という茶碗職人が造ったもの。
黒楽茶碗 銘 「面影」
かの千利休の薫陶を受け、作品にその意思を塗りこめたのだそうな・・・・。
長次郎は云わずと知れた、京都に十五代続く「楽焼」の創設者である。
茶碗など水が洩れなければそれでいいと思っていた私は、
NHKの新春スペシャル番組を観て、まさに目からウロコ
番組は第十五代楽吉左衛門氏の作陶における葛藤を描く内容であったが、
日々変化を遂げる作風の微妙な精神的な移ろいにスポットがあてられていて、秀逸なドキュメントであった。
激しい作品を自身の作風と確立したかの時に、先祖が生み出した「面影」の自然な美しさに回帰していくのが興味深い。
しかし、自然の中のただの石にモチーフを抱きつつ、それを追求していくと、本阿弥光悦が出てきたと笑うくだりには、思わず驚かされた。
しかも、63歳の吉左衛門氏は・・・未だに悩んでいるというんである。
大切なことは未だに悩んでいるということだと思うのだ。
十五代吉左衛門作 樂釉薬茶碗 銘 「梨花」
つまりは悩んでいるということは、未だ進化しているということ
それを裏付けるかのごとく・・・・、
春と秋の窯入れの様子が密着取材してあったのだが、フォルムも削りも、大違いの工程なんである。
おじさんは荒野をめざす・・・・なんである。私も少しは見習おうと思った。
第十五代楽吉左衛門氏
氏は笑いながら、
「プロフェッショナル・・・そんなものは存在しません。」
と言い切った。
それがまさにプロの言葉であろう。
十五代吉左衛門作 黒楽茶碗
ところで、せっかく、いい番組を観たのだけれど、
初代長次郎の黒楽茶碗 銘 「面影」、
「何でも鑑定団」に出品すれば一体いくらなんだろうと、すぐ下世話な私に戻ってしまったのが、新年早々哀しいね。
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