ここ1ヶ月ほど、殺風景な職場のベランダの軒先に生命の息吹きがあった。
毎年やってくるのだという燕が、今年も巣篭もりを始めたのだ。
その時は仕事に追われ、気にする余裕などなかったのだが、
やがて、親鳥の交代での巣温めの成果で、事務所の窓越しに
「ピイピイピイピイ!!!!」と泣き声が聴こえ始めた。
4匹の燕の赤ちゃんが誕生したのだ。
その日から殺風景な職場が、変わった。
必死になって餌をせがむベイビィ達に親鳥は作業を分担して、これまた必死になって餌を運ぶ。
雄鳥が餌を運ぶときには、雌鳥が四方八方を見張っている。
抜け目がなく、狡猾な雑食性のカラスが自分の胃袋を満たそうと、四六時中狙っているのだ。
私達の事務所は鉄筋コンクリートで、その軒先のさらに裏側なので、外からはまったく見えないし、高い場所なので、ヘビとか猫も近づけない。
燕ながら頭がいいなあと感心するばかりの私。
竹を切ったように口を開け、只管餌を待つ子供たち。
いやはや可愛いもんである。
事務所に着くと、まずは燕の巣を覗き込むのが習慣になった。
ちゃんと4羽が揃っているか、随分と気を揉んだものだ。
草木に雨で濡れた土を自分たちの唾液で固めたマイホームの中で、可愛い新しい命はスクスク育っていった。
カラスなどが回りに居ると、手を振りかざして追っ払ったものだ。
ある日、鳩が2羽もこの巣を襲いに来たこともあったのだが、勿論、強面のこのおじさんが追っ払ったんである。
そうやっているうちに、この軒先の訪問者に対して、愛情さえ覚えるようになるのだから、何とも不思議なものである。
実は昨日から、赤ちゃん達の様子がせわしくなった。
巣の中でしきりに羽根を震わすようになり、親鳥は盛んに餌を運ばずに何度も巣の回りを飛び始めた。
さらには、仲間の燕達も応援にやってきて、しきりに巣の回りを掠めたように飛び回った。
やがて、1羽が飛び去った。
巣立ちである。
残りの3羽はもじもじと巣の中で羽根を広げるのだが、中々飛び立とうとはしなかった。
親鳥を刺激しないように注意しながら、思わず
「頑張れっ!」
と声援を送ったのだが、この日はこれで退社の時間を迎えた。
今日は、ある企業の朝礼でお話しする日であった。
営業戦略について持論をお話して、その後は市役所の土地開発公社の理事会に出席して、
11時頃、法人会の事務所に出社。
事務員さんが開口一番、悲しい顔で、
「今日燕さん出て行きました・・・・。」という
慌ててベランダに出ると・・・・。
巣の一部が壊されていた。
子供たちは巣立って行ったのである。
まだ自力で餌は獲れないらしく、しばらくは電線の上で羽根を休めて暮らしている筈だ。
辺りの複雑に入り組んだ電線を見渡すと、何匹かの燕が目に入ったが、それが彼らなのかは最近視力の乏しくなった私ゆえに確認できなかった。
青空の中、五線譜のような電線に、♪ ♪ ♪ 音符のように燕がとまっていたのが何となく嬉しかった。
改めて巣を見上げると、確かに入り口付近が壊されていた。
神の意思なのだろうか・・・・。
巣立ちをした子供たちは二度と巣には戻らないのだという。
住人を亡くしたマイホームがとても寂しく見えた。
そして私は心の中にポッカリと穴が開いたように、しばらく放心したままであった。
こうして1ヶ月余りの・・・・。
私の、ささやかで秘やかな愉しみは終った。
巣立って行った若い燕達は、南の地に旅立つ前に、もう一度巣に挨拶に戻ってくるのだと聞いた。
それが本当であることを祈るのみである。