やっぱり、歳の所為なんだろうか。
このところ、飛ぶ鳥に、咲く花に、沈む月に心を動かされることが多くなってきた。
そして、ちょっとした人情の機微にも不意に感激してしまう。
こんな多感な老人で良いのだろうか!
とまで思ってしまう昨今。
還暦を超えたら、これまでの山あり谷ありの経験から、
人生を見事に達観して、飄々と生きていけるかもと、ぼんやり考えていたが、いざ老境に差し掛かると、また一つ見えてくる世界観が違ってくる。
それは、ものの哀れに気付くということでもあろうか。
そして、うつせみの世のはかなさと、ある種の、をかしさ
そんなことに気付かされる日々。
いまだ多くの人と接するにつけ、
この御仁は、まだこんなことに執着しているのか・・・・。
こんなつまらぬことに拘っているのか・・・・。
いまだに、こんなことも判っておられないのか・・・・。
人の事は実に良く見えるのだが、段々と自分の姿が見えにくくなっているのも少し気になるところ。
そんなことが見えてしまうのは、まだ執着心から離れられずにいるということでもある。
内観すべし。
我以外皆師也
人間は死ぬまで勉強
青春は体の様相を云うのではなく、心の様相を云うのだ
人の云うことを素直に聞けるうちはまだ自分に伸びしろがあるのだと思うので、
ものごとに接するには、なるべく決め付けないで、幅広く心を開き、人の良いところをみるにして、
口はつ、耳は二つを、心して実践していかねばなるまい。
とはいえ、自戒と反省の日々ばかり送っていても仕方が無いが、少しはこれまでの人生経験を糧としていかねばなるまい。
「いいじいさん」になりたいものだ。