風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

ジョンとポールと慎吾

2014年05月09日 23時45分09秒 | 風竿日記

高校生の時に、たった鉛筆1本だけで描きあげたというジョンの絵

どれだけジョンのことが好きだったのか・・・・。

この一枚の絵をみれば判ろうというもの。

この世にジョン・レノンなかりせば

ポール・マッカートニーもなかっただろう。

そして彼もまた、音楽を生業とする会社を立ち上げなかったかも知れない。

    

二人は魅かれあう魂のごとくに出会い

多くの楽曲を競作した。いやあんまり忙しかったので一緒に演奏しながら作った曲も多く、その意味では初期においては共作といえるのかも知れないのだが・・・・。

前述の鉛筆画の作者は、今、天国でジョンとセッションしているのだろうと思う。

ジョンの絵は、その想いが通じるような見事な力作であった。

人は死してもなお、魂は残るという輪廻転生の仏の教えを思わずにはいれないほどの、福岡は名島の亀山邸での作者との出会い。

叶わぬことではあるが、せめてご生前に一度お会いしたかったものだ。

音楽という、神が与えたもうやすらぎの世界をこの作者と共有したかったものだ。

彼は「温泉deビートルズ音楽祭」をどう思っただろう。

一番好きなジョンの曲は?

この曲のコードは?

彼の家を辞するときに、鐘を鳴らして、しずかにお祈りをした。

会った事もなかったけれど、不思議とどこかで繋がっているような気がしてならなかった。

改めて彼の、亀山慎吾さんのご冥福を祈らずにはおれない。

彼のことを知る「よすが」として、残っているのはYoutubeが一つ

彼の唄ったトラックにかっての仲間が音を重ねたのだという。


なかなかいい出来栄えのコーラスワークである。

私のバンドでも古いレパートリーのこの曲。

今度やる時は彼のことを想いながら演奏しようと思う、

 

 


博多

2014年05月09日 00時58分54秒 | 風竿日記

博多で暮らしたのは18歳から21歳までの約4年間

主には田島というところに住んでいたが、

「なかの」という香椎公団の親戚の家に居候していたこともあった。

だから東区の地名はとても懐かしい。

名島、千早、などは特に想い出が深い場所である。

そんな懐かしい場所に、そのすごい友人は住んでいた。

河畔公園の中の瀟洒な建物で、ビートルズのミュージアムと音楽スタジオが二つ

ピアノは各部屋にあるというさすがにピアニストらしい家

河を見下ろす大きなウッドデッキでメンバーと写真に収まった。

若い勇希君から言わせれば、新しいCDアルバムのための写真なのだそうだ。

 アルバム作ってみたいもんだね。

さてさて、写真でもお判りだと思うが、こんな素敵な音楽空間、そこにアップルビーツの面々もお世話になったのであった。

忙しかった連休の中の「ホッ」となったヒトコマ

短い時間だったけれど、心からくつろいだKAMEYAMA HOUSE

博多は、昔から思っていたけど、やはりいい街である。

音楽文化的にも、理解と造詣が深い。

日本のリバプールといわれるだけのことは確かにある。

最近、音楽活動の拠点は、自ずと福岡に比重が重くなった。

若い頃博多で暮らし音を奏でた、齢を重ねてまた博多で・・・・。

人生は繰り返すものであろうか・・・・。