風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

青春のバンド

2014年01月23日 22時22分22秒 | 風竿の音楽夜話

私は高校1年生からギターを始めたから、かれこれもう47年あまりギターを弾いていることになる。

始まりはピーター・ポール・アンド・マリー、PPMなんである。

そしてブラザーズ・フォア、キングストントリオなどのコピーに挑戦した。

高校を卒業すると浪人生活で福岡に行ったが、そこで色んな音楽に出会った。

照和というフォーク喫茶が天神のスポーツセンターの近くにあり、よく出入りしたものだった。

そこにはプロデビューする前のチューリップや海援隊、が愉しいステージを繰り広げていた。

私もそこで前座の前座みたいな感じでしばらく弾き語りで歌ったことがあった。

まだお客様の少ない店内で、メッセージフォークといわれるジャンルの曲をやっていた。

殆ど受けなかったのだが、当時はそれでも歌っているだけで十分であった。

ギャラなんて、うどん一杯食べるとそれで終わりだったからね。

当時50円くらいだったろうか・・・・。

福岡のラジオ番組にも2度ほど出演したことがある。

KBCの「歌え若者」という番組

KBCは名物ディレクターといわれた岸川均さんがいらしたこともあってか、名もない若者のミュージシャンにとても門戸が広かったように思う。

その中でも私が唸ったのはチューリップであった。

当時すでに福岡市内ではチューリップの人気は高く、彼らのステージは満席状態。

演奏だけでは食えない武田鉄矢なんかは、ステージの間にウェイターのアルバイトまでしていた。

チューリップは財津和夫と吉田彰を除いて今のメンバーではなかった。

宗田慎二さんと末広さんというお方、この二人もとても声の綺麗なミュージシャンだった。

その頃の「白い雪そんな雪が私は好き」、「ママがパパを愛したように」、「ええとこのこのバラッど」という曲はとりわけ私のお気に入りだった。

チューリップのメンバーとは多少親交があったのだが、もう半世紀近くも前の話で、縁も途切れてしまった。

今夜はそのチューリップがアコースティックバージョンでやっている曲を・・・・・

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財津さんの声、いいですよね。

昔ステージの緞帳があがる前によくオナラをしていた人とは思えない、いい声です。