奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1365)

2020-05-19 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「養老孟司ガクモンの壁(日経ビジネス人文庫2003刊/初出1998.11)」の“第3章「言葉の中に過去の文化が見える(井上京子との対談)」”を読んだ。養老孟司(1937~)氏は言わずもがな、“バカの壁(2003)”をヒットさせる直前の唯脳論学者である。井上京子(いのうえきょうこ1963生れ)女史は、1986上智大学(英文科)卒、1993米イリノイ大学大学院(人類学)博士課程修了。マックスプランク心理言語学研究所研究員を経て、1995より慶応大学(理工学部)助教授。専門は言語人類学/認知人類学とのこと。現在は、慶応大学(理工学部)教授である。-----

井上京子女史は次のように自身の研究を説明している。大学時代に英文学よりも言葉自体に興味を持ち始めた私は、米国のイリノイ大学に留学する機会を得て、文化人類学/つまり人間と文化や言葉とのかかわりを勉強した。人間が事物をどう切り分けて見ているかを語彙を通じて探ってきた。もう少し広く言えば語彙には人々の考え方が反映されると思っている。------

最初は助数詞の話と、空間把握(左右/相対座標と東西南北/絶対座標)の違いの話でしたが、そのうちに養老孟司氏が間怠(まだる)っこい話題に痺れを切らせて次のように述べられている。文化人類学と云うのは沢山の文化がお互いに平等であるとした上で、それぞれの間の関連を調べようと言うのですから、膨大な数の組み合わせについて研究しなければならない。そこにちょっと無理があるような気がします。だから私は普遍的なものを基準に持ってくるべきだと思う。もっと具体的に言えば、言語の問題を言語の機能や形式の中に位置付けるときに、それを脳の働き方の形式に翻訳すればよい。喋(しゃべ)るときには脳が働いているわけですから、言語が違うと脳の働き方がどう変わってくるのかというように、比べることができる。そうすると、そこで初めてある種の客観的な議論ができます。ところが文化系の方だと、脳に触ったこともないし、考えたこともないから、出来ればいじりたくないということになる。------

対談は、風水と方角の話などに発展して、穏やかに終えられている。養老孟司氏も女性研究者には少し甘いのではと思った。

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