21世紀航海図;歴史は何も教えてくれない。ただ学ばない者を罰するだけ。

個人の時代だからこそ、個人を活かす「組織」が栄え、個人を伸ばす「組織」が潤う。人を活かす「組織」の時代。

大学院って無価値?

2008年02月27日 12時05分39秒 | Weblog
 少子化・大学院生定員拡大を受けて、大学院入学試験で倍率が1倍を割るところが増えてきているらしい。それで「学生の質を確保できない」って言うんだけど。大学でも全入時代を迎えて「質の確保」が問題になっているよね。

 この「質の確保」って考え方、何が問題かって言うと、大学院側に‘入学後に講義を通じて学生の質を上げる、って考え方がない点。基本的には、大学院は、優秀な学生を「集める」ためにあるのではなく、教育・研究活動を通じて優秀な学生を「育てる」点にある。にもかかわらず、‘優秀な学生が集まってこない=‘卒業生の質が下がるって言っているような大学院関係者は、いらない。「教育」と言う概念のない大学院は必要ないんだよ。「研究所」で十分なんだから。
 さらに言えば、研究所の方が、教育機関としても優れているのかもしれない。例えば、ノーベル賞受賞者の田中幸一さん。もし彼が受験したとしていても、日本の大学院はどこも入学し研究することを認めなかったと思う。その点、製作所の技術開発グループは、彼を採用し指導し優秀な技術者に育て上げたのだから、立派だ。
 企業が大学院卒を採用しない理由はそこにある。大卒で入社して、企業内研修を積んだ方が、きっと大学院に進み修士号・博士号を取得するよりも、若者はスペシャリストになれるのだと思う。(たぶん)

 大学・大学院が入学総数に占める「卒業者の割合」にこだわっているようじゃ、改革は進まない。。。。。入学の時点では、やる気のあるヤツは高卒だろうと社会人だろうと全員を入れる。その後で、講義についてこられないヤツをドンドン落としていけば良いんだよ。それで、卒業レベルでの人材の質を確保し、企業側から認められる大学になり、採用で優遇してもらえることで、入学者希望者総数を増やして、、、「数うちゃ当たる」の原則で、4年・5年・6年かけて選抜し、基準を満たすヤツだけを卒業させることで質を確保し、、、、、、って好循環に持って行くんだよ。
     卒業率は5割を切っていても、良いんじゃない。
 「卒業者」全員が司法試験に合格している法科大学院の方が、入試が難しいだけの大学院よりも選ばれる時代。「卒業者」全員が公認会計士の資格を持っている経営大学院が選ばれる時代。。。。「卒業者」全員が医師国家試験に合格する医学部が選ばれる時代。「卒業者」全員が推薦で高給な研究職に就ける工学部が選ばれる時代がすぐそこまで来ている。


 京都大学が行った調査によると、京大入試の前期合格者と後期合格者の間の入学時点での学力の格差は、大学生活を通じて埋まらないらしい。(そのため、前・後期入試を一括化したんだけど)要は、京都大学は「教育機関」として在学生の底上げをできていない、と言うこと。京都大学には、在学生・卒業生にとって、その名前(ネーム・バリュー)以外に価値はない。あんな処、若い貴重な人生経験を犠牲にして、受験勉強に時間をかけても、合格して通学するだけ、時間と金の無駄だよ。

   入学時点での差が、卒業まで残っていると言うことは。 
 高卒時点で、京大にトップ入学できるヤツは、放送大学で学んでいても、京大を卒業したのと同じぐらい優秀になれるということだし。
 入試で、ギリギリで入学したヤツは、卒業まで大して進歩しないと言うことだよ。以外に、ギリギリで入学するぐらいなら、放送大学で学びながら、危機感を持って自己洗練に努めた方が、卒業する頃には人として成長できるのかもしれない。
 まさか、未だに大学名で採用者を優遇するところはないと思うけれど、無能なヤツが「京大卒」と言うことでチヤホヤされて、努力を怠るようなことになれば、それは本人にとっても社会にとっても不幸なことだ。

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