あぜ道日記

田舎暮らしの中で、自然や季節の花々、時々お出かけを、写真で綴ります。

トキタ種苗オープンディ

2017年11月25日 | 野菜作り

ここのところちょこちょこ出かけているのでお出かけ記事ばかりになってしまっています。
まだアップするお出かけが色々あります。
よかったらもうしばらくお付き合いください。

今日は数日前に行ったトキタ種苗オープンディのことです。
ほかに行きたいところがあったので、思い切って夫と二人で埼玉県加須市のトキタ種苗オープンディに行きました。
正しい名称は「トキタ種苗大利根研究農場」といいます。
とてもいい天気でオープンディ日和でした。









トキタ種苗はカリフローレといってスティックのカリフラワーに力を入れているようです。
うちでも一度栽培したことがありますが、あまりうまくいかずプロの作り方を教わってきました。
試食にも使ってあっておいしかったです。









一般的な野菜はほうれん草に









キャベツなど









イタリアンに使いそうな野菜にも力をいれているようでした。









これはうちでも栽培したことがあるスイスチャードです。





お土産にジャガイモの種イモや野菜の種を何種類か買ってきました。
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イノシシの被害

2017年11月24日 | 野菜作り

今に始まったことではありませんが、イノシシの被害が日々増大しています。
数日前畑に行ったら、黒豆がなぎ倒されていました。
枝豆の時期は終わり、乾燥した豆になるのを待っているところでした。









同じ黒豆でも、下にマルチを敷いてあるところは被害がありません。
マルチは鼻にひっかかってじゃまなのでしょうか?
右側がマルチ栽培、左が露地栽培です。









固くしまった農道もこのとおり掘り起こしてしまいます。
鼻の力すごいです。









まだ片づけずにいた夏野菜のところもこの通りです。


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五色沼・会津若松の旅(その11)

2017年11月23日 | 旅行記

会津若松市内の昭和レトロな建物はまだ続きます。
杉玉のさがった末廣酒造。









中はちょっとモダンな感じです。









コンビニも古い街並みらしい造りです。






























時代劇に出てきそうな案内です。









七日町通りを過ぎて、野口英世青春通りまで来ました。
野口英世が16~19歳まで過ごしたことにちなんでこの名前が付きました。









街頭にも野口英世の顔のデザイン。









野口英世が幼いころ手のやけどの手術を受けた旧会陽医院の建物で、改装して1階はカフェ會津壱番館、2階は英世ゆかりの品々が展示された青春館となっています。
英世はこの医院で医学のすばらしさに感動し、医学者としての第1歩を踏み出しました。
野口英世青春通りのシンボル的存在です。









中はとても素敵な雰囲気らしいですが、ランチのすぐ後だったので断念しました。









壱番館の隣は立派な蔵のお店です。









野口英世洗礼・初恋の地の案内板。
英世はこの地にある教会で洗礼を受け、外国人宣教師が英仏語を教えていたためここの塾生となりました。
この教会で出会った写真左側の山内ヨネ子が英世の初恋の人でした。
初恋は実らなかったそうです。









築140年以上の蔵を移築し店舗としている会津葵本店です。









お土産は会津の城下に伝わる古文書をヒントにした「かすてあん会津葵」を買いました。





これで会津若松の旅行記はようやく最終回です。
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五色沼・会津若松の旅(その10)

2017年11月22日 | 旅行記

会津若松の旅行記もあと一息です。

市内の歴史スポットの見学を終えて、お昼の時間になりました。
予約はしていませんでしたが、渋川問屋に行ってみたら、すぐに入れるということで、ランチタイム。
ここでタクシーとはお別れです。

七日町駅から伸びる七日町通りに面した渋川問屋は明治から昭和にかけて会津随一の海産物問屋でした。
明治時代に建築された蔵や大正時代の木造家屋などの建物を生かし、配置も当時のままで、会津商家の大店も面影をとどめています。
現在は食事処、旅館として利用されています。











玄関左手にあるロマネスク調の洋風な喫茶レストランです。









江戸時代より会津藩の城下町として古い歴史をもつ会津若松。
会津の西の玄関口としてにぎわい続けた七日町通りは、蔵造りの商家やレトロな洋館、木造の町屋などレトロなたたずまいであっても、食事処や商店などとして利用され、今もなお現役です。
そんな七日町通りをお店をのぞきながらぶらぶらしてみました。
古い建物がたくさんあって、たくさん写真を撮りました。
















「あいづしんくみ」会津信用組合のことでしょうか。看板もレトロ調です。
















とてもきれいな会津絵ローソクです。
















種苗店の壁にはカブのデザインが飾られています。









ガイドブックに必ず載る白木屋漆器店。
大正3年建築で、外観はルネサンス風、構造は火災に強い土蔵造りになっています。









白木屋漆器店の隣にもレトロな建物が・・
滝谷建設工業(株)で昭和2年に銀行の建物として建築されました。


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五色沼・会津若松の旅(その9)

2017年11月21日 | 旅行記

会津若松といえば白虎隊と鶴ヶ城は観光スポットです。
今回は鶴ヶ城です。









HPを引用すると
「鶴ヶ城は今から約630年ほど前に、その前身ともいえる東黒川館を葦名直盛が築いたのがはじまりと言われ、戊辰戦争では約1ヶ月に及ぶ激しい攻防戦に耐えた名城として、その名を天下に知らしめました。
明治7年に取り壊されましたが、昭和40年に再建、 平成23年には赤瓦へのふき替えが完了し幕末当時の姿を再現し、現存する天守閣では国内唯一の赤瓦の天守閣となっています。」とあります。

白虎隊が飯森山から鶴ヶ城を見たとき、煙に包まれ落城してしまったと勘違いし自刃してしまいましたが、実は立派に耐え抜いていました。

赤い瓦の美しい姿です。









石垣にからまるツタが紅葉していました。









天守閣からの眺めです。
案内板によると、白い線の山が飯森山で、白虎隊はあそこから鶴ヶ城を見ていました。









真ん中の山には向羽黒山城跡があるそうです。









周囲が山に囲まれ、会津が盆地であることがよくわかります。


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