西九州の旅のレポートは今日で14回目、ようやく最終回になりました。
今年中に終わってよかったです。
こうして行った場所の写真やパンフレット、ガイドブックなどを見ておさらいすると、見学中は何気なく見ていたことが、そうだったのかーとか妙に納得したりして、旅の印象が更に深まります。
ガイドブックのような写真と記事で、いささか退屈かもしれませんが、自分にとっては備忘録として、いつでも振り返ることができる手段になっています。
また、前置きが長くなってしまいましたが、旅の最後は鹿児島のシンボル西郷隆盛と桜島です。
西郷隆盛の像は町の中にありました。
完成までに10年を費やし、台座まで入れると8m、身長は5.257m、5.7等身だそうです。
そして旅の最後は桜島です。
とてもおなじみの島ですが、およそ2万2000年前に誕生し、北岳、中岳、そして現在も活動を続けている南岳からなります。
もともとは周りが海でしたが、大正3年の大爆発によって大隅半島と陸続きになりました。
鹿児島市から見ていたら、まったくの島のように見えていましたが、実は陸続きだったなんて初めて知りました。
桜島までのフェリーは市営で24時間営業というのも驚きです。
この日の桜島はとても静かで噴煙は見えませんでした。
市街地の中心部標高107mの城山からの桜島です。
仙巌園からの桜島です。
せわしなく見学を終え、空港に向かう車の中から、日が傾き、うっすらピンク色に染まった桜島です。
こうして2泊3日で3県を巡る旅は終わりました。
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阿蘇周辺の見学を終え、熊本駅に戻ってきました。
これから九州新幹線さくらに乗って鹿児島に向かいます。
わずか47分で鹿児島到着ですが、凝った内装の新幹線はどんなだろうという期待で、奮発してグリーン車に乗りました。
熊本駅はホームドアがあって写真は撮れず、こんな写真しかありません。
さすがグリーン車、床はじゅうたん張りです。
鹿児島中央駅に着きましたが、時間はすでに午後3時。今日中に帰宅することになっているので、滞在時間は約4時間ですが、空港までの所要時間などを考慮すると、見学時間はわずが2時間位でした。
あー、もう1日ほしかったと言うのが実感です。
あちこちちょっと欲張りすぎて、じっくり見学ができませんでした。
あっという間の見学でしたが、鹿児島観光で見逃せない仙巌園(せんがんえん)です。
仙巌園は第19代当主島津光久が造った別邸であり、桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた、雄大な庭園は、四季折々の美しさです。
平成20年の大河ドラマで脚光を浴びた「篤姫」が、第28代当主島津斉彬の養女となり、江戸へ向かうまでの短期間に足を運び、美しい庭園を眺めたとされています。
細長い敷地にさまざまな史跡が点在していました。写真に収めてあるものを紹介します。
鉄製150ポンド砲は鹿児島沿岸に配備されていた最大級の要塞砲の復元で、約68kgの鉄製の丸い弾を3km飛ばす威力がありました。
江戸時代薩摩藩は金山を所有し、明治以降も島津家が採掘を続けていました。
明治40年近代的な技術で採掘するため、電気が必要となり、現在の霧島市に水天渕発電所を建てました。
昭和58年に九州電力から建物の一部を記念碑として譲り受けました。
明治28年にできた正門は、木材はすべて鹿児島県の県木クスノキで、門の上部には、島津家の家紋「丸十紋」と「桐紋」が彫られています。
大河ドラマ「篤姫」にも登場しました。
獅子乗り大石灯籠は、29代島津忠義が明治17年に造らせた国内最大の石灯籠で、上部に飛び獅子が乗っています。
御殿は島津光久が屋敷を構えて以来、島津家の別邸として歴代当主に受け継がれました。
明治4年の廃藩置県で、島津家の人々は鹿児島城からここに移り、明治17年には大規模な改築が行われました。
現在は当時の3分の1の建物が残されています。
敷地の外には島津家歴代の党首と家族を祀る鶴嶺神社があります。
慶応元(1865)年に竣工した旧集成館機械工場は、現存する最古の機械工場です。
内部は島津家の歴史と近代化事業を紹介する博物館として公開されています。
集成館事業で造られていた独自のカットグラス「薩摩切子」
とてもきれいですが、お値段の高さにとても手が出ません。
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