鎌足桜保存会の研修旅行で櫻木神社のほかに、キッコーマン醤油の工場見学をしました。
野田市といえば醤油の町というイメージです。
どうして野田で醤油が作られるようになったかというと、江戸時代の初めには江戸という大消費地に近かったこと、気候が醤油づくりに適していたこと、原料が手に入りやすく、利根川や江戸川の舟運の便がよかったことなどがあげられます。
どうしてキッコーマンという名前になったかも調べてみました。
あるサイトから引用しました。
キッコーマンは1917年に野田醤油株式会社、万上味醂株式会社設立、1925年に合併、1927年から商標を「キッコーマン」として統一した。
この前身となっている野田醤油の祖先が千葉県香取市にある香取神宮の氏子総代の一人で、その神宮の神域の山号が「亀甲山」であった。
そこから「鶴は千年、亀は萬年(万年)」という言葉と組み合わせて「亀甲萬」という印を最上級の醤油に付けることとなった。
この「亀甲萬」をカタカナにして商標としたのが「キッコーマン」である。
キッコーマンの醤油に描かれている六角形の中に「萬」の文字のマーク、この六角形は亀の甲羅をイメージしている。
なるほど、漢字にすると意味がわかってきます。
さて、工場見学のことです。
見学はもの知りしょう油館というところでできました。
内部は撮影できないので外観だけですが、奥にある丸いタンクで仕込みます。
同じ場所からの写真ですが、ガラスに説明が書いてありました。
もろみの仕込みタンクはでは数か月かけてもろみを発酵し熟成させています。
商品パッケージの移り変わり。
もの知りしょう油館とは別にお城のような建物がありました。
もの知りしょう油館と赤い橋で結ばれています。
ここは御用醤油醸造所です。
昭和14年に別の場所で宮内省にお納めする専用醸造所ができましたが、老朽化で平成23年に移築されました。
移築にあたりしょう油を仕込む木桶や建物など、移築前のものを使い原形に近い形で再現しています。
もろみを搾って、しょうゆを仕上げる工程で使っていた装置です。
ここは麹室(こうじむろ)、整然と麹蓋が積まれ、窓の開け閉めや火鉢で温度と湿度を調節しながら3日間かけてしょうゆ麹を作っていました。
仕込み室では杉の木桶にもろみを入れ、自然の気候の中で1年かけて発酵、熟成させています。
皇室御用達でも、こんな量はいらないのではと思っていたら・・
売店に「御用蔵醤油」という商品名で売っていました。
真ん中の黄色い箱がそうです。