あぜ道日記

田舎暮らしの中で、自然や季節の花々、時々お出かけを、写真で綴ります。

五色沼・会津若松の旅(その6)

2017年11月18日 | 旅行記

旅行2日目は磐梯山ゴールドラインを下り会津若松市内へ。
ゴールドラインはお天気がよければ景色のよいところも色々あると思いますが、雨でしたからほとんど素通りでした。

会津若松市内で最初に行ったところが飯森山です。
標高314mの小高い山には白虎隊士の悲劇の場所があります。
タクシーはお土産物屋さんの駐車場に着き、お店の人が付き添ってガイドをしてくれました。
このガイドさんの話が上手で、何となくしか知らなかった白虎隊のことをよく教えてくれて、思わず涙が出そうになってしまいました。

こんなレトロ感たっぷりのお土産屋さんがありました。









目指すは飯森山へ、長い階段が続きますが、うれしいことにすぐ脇に有料のエスカレーターがありました。









最初に着いた広場には、右側にイタリア記念碑があります。
イタリアの古代都市で有名なポンペイの門柱が、白虎隊を称えるローマ市民により、昭和3年に寄贈されました。









この階段の奥に白虎隊十九士の墓があります。









白虎隊とは会津藩の武家の男子で編成された少年部隊で、予備兵力として防備に努めていたが、幕末新政府軍との戊辰戦争へ出陣、最前線で奮闘するも劣勢のまま撤退。
飯森山で自刃した20人の白虎隊のうち、ただ1人命を取り留めた飯沼定吉を除く十九士の墓です。









刻まれた文字をよく見ると十七才、十六才とあります。
見学する前は、お墓は見なくてもいいかもと思ったりしましたが、悲劇の話を聞いて心から手を合わせました。









ここが白虎隊自刃の場所です。









隊士が遠くを見ている像があります。









少年の目にはどんな光景が映ったのでしょうか?









見下ろす城下の風景。









上の写真をトリミングしてみると、鶴ヶ城は矢印のところにあります。
飯森山までたどり着いた白虎隊は、城下から立ち込める煙に包まれた鶴ヶ城を見て落城したと思い自刃しました。
このことは一人生き残った飯沼定吉によって証言され、今に至っています。









戸ノ口堰は猪苗代湖から会津盆地へと水を引くために作られた用水堰。
戊辰戦争の戸ノ口原の戦いで敗れた白虎隊20人は、この洞窟を抜けて飯森山に逃れたと伝わっています。









飯森山に逃れず、堰の先の水路を通って進んでいれば、集団自刃の悲劇はなかったかもしれません。









自販機も白虎隊絵柄。









最後にお土産物屋さんで、白虎隊の踊りまで披露してくれました。
各自お土産を買い求めたことは言うまでもありません。


コメント
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