日本橋浜町と言えば、テレビドラマの「新参者」が有名ですが、僕にとっては自身の企業の地です。そしてもう1つ、日本のプロレス発祥の地でもあります。今日のような記事を、プロレス誌・紙で聞かないのは、昔のことを知る記者が現役で活躍していないし、昭和プロレスが終わってしまった証拠かも知れません。
1960年(昭和35年)、アントニオ猪木とジャイアント馬場の二人が力道山の弟子として、日本プロレスに入門し、トレーニングに明け暮れた場所は、同じ人形町の「レスリングセンター」。今はNTT茅場兜営業所になっています。この斜め向かいの通りに「理容・浪花軒」という床屋が今もありますが、当時、ジャイアント馬場らがよく頭を刈りに行ったお店です。
ところが今回発見したのは、事務所から歩いてたった3分のこの場所です!
現在は三菱マテリアルTC株式会社などの入っている、大丸ピーコックの向かいのビルですが、ここにどんな歴史があったかを知っている人はほとんどいません。当時の住所は日本橋浜町3丁目19番地・・・。大相撲で関脇昇進が決まり、日本橋霞町の売れっ子芸者・小沢ふみさんと結婚した力道山が新居を構えたのがここなのです!
そして、その1年半後の昭和25年9月11日未明、力道山はこの自宅の台所で自ら菜切り包丁で相撲取りの生命ともいうべき髷を切り落とし、廃業への道を選びました。24歳の若さでした。そんな衝撃的な事件のあった、日本のプロレス誕生への歴史的な場所が、僕の会社の目の前にあったのです!
明治座がこのすぐ先にあり、その前には浜町公園が現在もある。昭和30年代には力道山が弟子たちを連れて犬の散歩に浜町公園に出かけていたり、浜町グランドで力道山率いる野球チーム「レスラーズ」が練習試合をやっていたと言います。プロレス・ファンの僕が偶然にも、日本のプロレス発祥の地に起業していたことは、とても嬉しく思えてなりません。