青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

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米総合格闘技・黎明期の貢献者、ジン・ラーベル氏逝く

2022-08-11 | スポーツの話題
1976年6月に行われた、アントニオ猪木ーモハメド・アリ戦でレフェリーを務め、ジャッジの1人として引き分けの採点をした、元プロレスラーのジン・ラーベル氏が9日に死去したと、米国のプロレスラーOB団体カリフラワーアレイクラブが発表した。享年89歳。
 
米国出身のラーベルさんはレスリング、ボクシングを学び、柔道では全米大会優勝などの実績を残してプロレスへ転向。プロレスラーとしては2度の来日経験が。俳優として数多くの作品に出演し、グラップリングを普及させた総合格闘技の先駆者としても知られた。ロスの有力プロモーター、マイク・ラーベルは異母兄弟。パット・オコーナーの持つNWA世界ヘビー級王座に挑戦したこともある。
 
 
1996年5月11日ロスの自宅での(その当時)猪木ーアリ戦から20年目の時、アリと一緒に来日したフレッド・ブラッシーについて、アリがプロレスとブラッシーのファンだったこと。それでアリがブラッシーを伴ってショーを行うべく来日したら、猪木とカール・ゴッチが真剣勝負を戦うべく待ち構えていたという、あの試合は「真剣勝負だった」という真相を語りました。
 
試合直前のインタビューでアリが猪木に「お前の先祖のいるところに、お前を叩き込んでやる」と言ったところ、それを横で聞いていたゴッチが、「お前も首を気を付けろよ」と。この時、猪木以上に何をやらかすか分からないゴッチにびびったと。(笑)あの試合で1番怖かったのは、猪木のセコンドのカール・ゴッチの存在で、あの試合を裁いて10キロ痩せたそうです。
 
現役世界王者をリングに上げた。アリの勇気は称えるが、あの試合を実現した猪木は凄い男。猪木は確かにもっと技を出すべきだったかも知れないが、あのローキックだけで、世界に猪木ありを証明した凄い格闘家。私が現在UFCと関わっていられるのも、あの試合を裁いたからだ・・と他にも多くを語ってくれました。
 
合掌。
 
今、朝倉未来とメイウェザー戦が注目を浴びていますが、メイウェザーは引退して何年も経った45歳の元チャンピオン。アリは当時34歳の現役世界チャンピオン。猪木ーアリ戦の実現がどれだけの偉業であったかを僕は忘れません。しかも猪木は自らがプロモーターとして、この一戦を実現させました。
 
亡くなったジン・ラーベル氏が、どんな凄い男であったかは、当時は関係者以外は誰も理解していなかった・・というのが、当時の日本人がいかに格闘技に対して無知であったかという証明ですね。また、こうして過去を振り返ると、現在の世界の格闘技界の存在がほとんど、新日本プロレスとそこで育ったレスラー達によって種が撒かれたという事実に驚愕します。総合格闘技とい名称さえ前田日明の考案だし、今のMMAのグローブやレガースも元は佐山聡(初代タイガーマスク)の考案です。


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