青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

人形町 ~夢の跡地

2007-11-11 | ぶらり散歩

仕事で人形町に行って来ました。人形町と言えば、僕にとっては日本プロレスが思い出されます。力道山が作った、日本プロレスの施設と言えば、渋谷に作られた「リキ・スポーツ・パレス」が有名ですが、この人形町にあった通称「レスリング・センター」と呼ばれた建物こそが、日本のプロレスを作ったとも言える「道場」でした。

アントニオ猪木がブラジルでスカウトされ(昭和35年)、日本に帰国した際、その翌日から通った道場も、この「レスリング・センター」です。日本プロレスの選手達が道場と呼ぶのは、この「レスリング・センター」なのです。昭和30年(1955年)7月8日に完成。鉄筋5階建、延べ700坪、総工費7,500万円。力道山が木村政彦と戦った翌年に完成しています。

その道場で腕相撲をする、兄弟のように仲の良かった猪木と大木の貴重なショット!

当時はのんびりした時代で、近所に住む子供達が、ここに遊びに行って、レスラー達と相撲を取ったり、厳しい練習を見学出来たそうです。この近くの昭和12年から開業している不動産屋さんの社長に案内してもらい、当時の話を聞きました。今では往時を偲ぶものは何も残っていません。つい数十年前のことなのに、何も残っていないのが寂しい限りです。今はNTTの立派なビルが建っています。人形町の駅・交差点から2分ほど。ここから2分ほど歩けば、浜町の「明治座」がある抜群のロケーションに、日本の格闘技界の「礎」になった道場はあったのです。



2006年には、今は亡き大木金太郎選手を囲んだ、こんなニュースもありました。

「往年の名レスラー、大木金太郎さんを囲む会がアントニオ猪木、力道山夫人の田中敬子さん、野球評論家の張本勲氏を代表発起人に都内で開かれ、坂口征二、星野勘太郎、木村健悟各氏らが出席。かつて人形町の日本プロレス道場で大木さん、猪木と汗を流した間柄の張本氏は、34年ぶりの再会をアレンジした猪木に「40年前の義理をよう忘れんと…チャンピオン、あんた男や」と感謝感激。猪木は「この来日が最後にならないように、こうして出てくることで元気になれば」と、闘病生活を送る大木さんを励ましていた。」



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