青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

レンタルビデオ物語 ~黎明期

2020-10-12 | 昭和・思い出は色褪せない

ほんの数年前まで、レンタルDVD店をほぼ全国統一を果たした「TUTAYA」。今ではネット配信のせいで、どんどん閉店になっています。

今ではTUTAYAの名前を知らない人はいないでしょう。1982年大阪府枚方市の枚方駅前百貨店5Fに、喫茶店兼レンタルレコード店の「LOFT」を開店したのが始まりでした。1983年3月に枚方市岡東町に1号店である「蔦屋書店 枚方駅前店」を開業。その後加盟店舗への商品供給のため、日本出版販売と業務提携。中古商品を取り扱うユー・ファクトリー株式会社を設立。マーケティング部門として株式会社アダムスを設立。CD販売事業「TSUTAYA RECORDS」のフランチャイズ展開を開始・・・と、続々とその勢力を拡大。その後は新星堂の営業から、「ブックオフ」、「スターバックス コーヒー」の店舗運営まで事業を拡大しました。

こんな巨大な企業も最初は、「蔦屋」という1店舗で、僕の住んでいた大阪の北摂では江坂に1店舗あるお店に過ぎませんでした。レンタルレコード店が最初に登場したのは、1978年で、アメリカのフィラデルフィアに第1号店が出店されたと言われています。

日本では1980年に、東京都三鷹市に日本初の貸しレコード店「黎紅堂(れいこうどう)」の1号店がオープンしました。作ったのは立教大学の学生。当時のLPレコードは1枚2500円、レンタル料は1泊2日で250円に設定されていました。その黎紅堂が関西に1番に上陸したのが関西大学前店。そして石橋の大阪大学キャンパス前にも出来ました。当時の会員書はパウチもしていない紙の会員証でした。黎紅堂は後に倒産しますが、このレンタルレコード店が、現在のレンタルDVDへと続く長い道のりのスタートだったのです。

レンタルレコード業は、レコードを借りた本人が自宅でカセットテープに録音することを暗黙の前提にしており、当初、著作権侵害の可能性があり、レンタル業その物が違法であると問題視されていました。しかし利用者の増大に伴いレコード業界と和解、レコード業界にレンタルレコード店が一定の料金を支払うことにより決着。その後、映画ビデオにおいてもレンタルが始まりました。販売ビデオは当時1本16,000円~20,000円なんていうとんでもない値段がまかり通っていました。海外から字幕の無いビデオを個人で輸入しても1万円は掛かったのです。とにかくどれほど高額なものだったか、読者の方々には分かって欲しい。唯一の例外が、CICが発売した“ブロックバスターシリーズ”で、低価格を売り物にして、「フラッシュダンス」「レイダース 失われたアーク」「フットルース」「ストリート・オブ・ファイアー」と言った作品を、何と10,500円という低価格で発売しました。 (どこが低価格なのかと、今では思いますが)

レンタル・ビデオこそが、ビデオテープレコーダの売上を伸ばしました。テレビを録画する為にビデオデッキは購入されたのではありません。

レンタルビデオ店には、様々なジャンルのビデオが並べられていました。特に、最新の人気映画以外に大きな場所を占めているジャンルに、成人向けビデオ(アダルトビデオ)がありました。このアダルトビデオはレンタルの回転が速くて利益率も高いため、レンタルビデオ店の経営には大変重要であり、アダルトビデオの利益で、つまらない洋画を仕入れることが出来たのです。そしてこのアダルトビデオを見るために、ビデオテープレコーダを購入する人が急激に増加しました。ビデオテープレコーダを売るのに、町の電気屋さんは、レンタル店に対抗して、無修正の裏ビデオを持って走り回っていたのです。ブルーフィルムが8ミリ映写機の販売を伸ばした歴史が繰り返されました。

これは嘘でも何でもなく、ビクターや松下の営業マンたちが、ソニーのベータを潰すために、裏ビデオを電気店に持って行き、ダビングさせたものをビデオデッキ購入者にサービスとして渡した!そのビデオ見たさにVHSビデオデッキは売れました。ソニーが良識ある態度でポルノに手を出さなかったので、ポルノソフトはVHSが独占し、VHSとベータの戦争はVHSの勝利に終わりました。

ビデオのレンタル期間は、一般に「2泊3日」「7泊8日」などと表現されます。レンタル料金は、レンタル黎明期は結構な値段でした。ソフトの定価の1割の値段が基本で、2泊3日で2万円前後のビデオならレンタル料2,000円、15,000円前後のビデオなら1,500円のレンタル料、1万円以下は1,000円のレンタル料でした。その後暫くして、レンタル店が沢山出来、本屋さんなんかがレンタル店に商売変えしたりして、競争になり、1泊2日で500円程度が普通で、期間を超過して返却すると延滞料金を徴収されました。今のように1週間レンタルなんてなく、2泊3日で500円なら親切なお店でした。

当時はビデオデッキも高額でした。家で買ったデッキがモノラル音声仕様で10万円を超えていました。ところがレンタルビデオ店が出来た事で、ダビングすれば名作が自分のものになる!音楽作品ならステレオでダビングしたいし、映画でもHiFiステレオ作品が発売に。そこで友人と夜勤の工場でのアルバイトで死ぬほどの目に遭いながらも、10日間働き、そのアルバイト代で23万円もするHiFiステレオデッキを買ったのです。(この時代、アルバイトの相場は、ウエイターで時給500円でした・・・10日で23万円を稼ぐバイトが、どれだけ苛酷な労働だったか・・・

デッキを買った僕は、大阪から姫路の友人の下宿まで、ビデオデッキとレンタルした映画のビデオテープを持って走り(ダビングするには2台のデッキが必要で、彼と僕は23万の同じ高額デッキを持っていたので、最高の環境でダビング出来ました。)耐久レースなみの過酷なダビング作業に取り掛かりました。2時間毎に目覚ましをセットして、テープの入替え作業をするのです。(笑)ビデオテープ代もハイグレード120分が1本2500円もした時代ですが、電気屋でバイトをした時に、メーカーさんが売り込みの為に見本に持って来るビデオテープを貰って、しっかり無料で貯めていました。

でもレンタルビデオって、貸出中だと何回も足を運ばないとなりませんし、返却は邪魔臭い。レンタル代も高い。そこで考えました。何とかいつでも1番にレンタル出来て、お金も使わないで、姫路まで行かなくていい手段はないかと・・・。

そこで、このレンタル店・黎明期に、レンタルビデオ店でアルバイトをして、店長になったのが僕でした。(笑)入荷したビデオを1番にお店のデッキでダビング!しかもアルバイト代がもらえる。

当時邪魔臭かったのは、VHSとベータの両方を貸出していたことです。ケースの大きさが違うので、棚に収納するのが邪魔臭かった。他にも思いつくままに書くと、当時は入会金が1,000円くらいして、これがお店のいい儲けになりました。まだまだ1店だけでは満足出来る品揃えをしている店が少なく、みんなが複数の店の会員になる時代でした。もう時効ですが、レンタルビデオ店では大抵どこでもダビングサービスをしていて、お客さんの希望する作品を、店で販売している生テープ(値段設定高め)を買ってもらえるなら、30分1,000円~1,500円くらいでダビングしていました。違法ですが、店のオーナーの決めたこと。120分の映画なら6,000円くらいで自分のものに出来たんですね。マニアの方はよく利用されていました。FAXのサービスなんかもしていました。

つづく・・・

 


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