青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

リキレストランの味を伝える“レストラン香港”

2024-07-15 | ぶらり散歩

僕が東京に住んでいた時、ここで食事をすることが出来て心から「間に合った」と安堵したお店が2軒あります。1軒は蕎麦店「たけや」。リキスポーツパレスの近所にあったお店で、力道山の弟子のアントニオ猪木やジャイアント馬場ら、若いレスラーのたまり場になっていたお店です。(リンクから記事にどうぞ)

そしてもう1軒が今日ご紹介する「レストラン香港」です。どちらも昭和の日本プロレスと切っても切れない関係にあった懐かしいお店で、歴史に埋もれて消えて行く前に、足を運ぶことが出来た喜びを感じました。

1961年7月、渋谷に総合娯楽施設でもあるプロレスの殿堂「リキスポーツパレス」が落成。あの力道山が心血を注いで築いた大きなビルでした。このビルには、「リキレストラン」という高級西洋料理店も入っていました。力道山が亡くなり、リキスポーツパレスが売却され、リキレストランも1967年2月に閉店。このリキレストランは猪木、馬場は勿論、ルー・テーズやカール・ゴッチらも食事を摂った伝説のお店ですが、このお店のシェフだったのが髙梨正信さん。彼はその後、アントニオ猪木が興した新日本プロレスのプロモーターにもなるのですが、今日はプロモーターとしての顔の話は置いておいて・・。

その素晴らしい料理の腕前を買われながらも、髙梨さんは西落合にあった「香港」という中華屋を、名前ごと居抜きで買い取り、元々は町中華なのに、洋食屋をスタートさせます。現在のお店から数百メートル離れた場所で、67年3月に開店。開店当時はラーメンや餃子も出していたそうです。

そして、1976年8月、猪木ーアリ戦の2か月後に新築したのが現在の店舗で、店内にはプロレスファン感涙の写真や貴重なグッズが飾られています。

何も知らない人からすれば、昔ながらの町中によくあるお店。値段も安く、素通りしてしまいそう。ところが1歩中に入ればとんでもないお店なのです。

厨房の紳士がシェフの髙梨さん。

壁に貼られた懐かしいポスターや写真。写真1枚1枚にはとんでもない顔ぶれが写っています。まさに日本のプロレスの歴史。

特に貴重なものが、この上の額の中のもの。左下は1976年6月23日、京王プラザにおいて猪木の提案で「勝者賞金総取りルール」に猪木とアリがサインを入れた合意書のコピー。当事者である猪木とアリが勝手に合意し、これが大問題になり、試合前にアリ帰国かという騒動に。

実物はアリ側が回収して処分したため、本当に貴重な猪木ーアリ戦の舞台裏を示す証拠品で、その下は特別リングサイド10万円のチケット。

右上のブレザーは「IWGP実行委員」の特製ブレザー。これは猪木のマネージャーだった新間氏がIWGPの為に作らせたものながら、IWGP実行委員は実は、坂口副社長、新間専務、大塚営業部長(役職は当時)のたった3人だったのです!

このジャケットは3着しかなかったブレザーの内、大塚営業部長が着用していたもので、髙梨氏に寄贈されたもの。

またこちらは、レストラン香港の再オープンのお祝いに、猪木から贈られたサイン入りのパネルです。写真は1974年12月12日のストロング小林との再戦。

こういうお宝が店内に飾られており、肝心のお料理はリキレストランで力道山が好んだ味そのままの料理!本当にプロレスファンにはたまらないお店なのです。僕はこのお店に足を運ぶことが出来て、本当に幸せでした。

皆さんもぜひ・・・。

 



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