東京の人は冷たいイメージがあると関西の人間は言いますが、それは話し方が上からの物言いに聞えることに原因があると思います。関東は上から文化で、関西は下から文化なのです。東京は首都であるという宿命なのか、上から下へと流れて行く文化。歌舞伎にしろ能にしろ、驚くことに、落語も漫才も文化の香りをまといます。関西では「師匠」と呼ばれても、東京では「先生」と呼ばれています。
関西では大衆芸能が庶民の間に文化として浸透しています。井戸端会議のおばさん達の話し方も、商店街での買い物の駆け引きも、関西漫才のようなボケとツッコミの掛け合いで成立しているのです。
東京が権力が作り上げた街なら、大阪は関ヶ原以降、庶民が作り上げた街。権力のあるところには階級がある。そこで育てば上昇志向が発達する。裏を返せば、見栄も張るし、常に力の限りを尽くそうとする。自分に10の力があると思ったら、最初から10の力を見せつける。
ところが、関西の人間は10の力があっても、最初は6か7くらいの力しか見せません。あとは状況に合わせて小出しにして力を見せる。教えてくれる人があれば、素直に耳を傾ける。そんな関西人のやり方で東京の人に接すると、こいつは何も知らない奴だと理不尽な扱いを受けるようになった経験があります。
飲食店も大きな違いがあるように思えます。東京は、店構えも料理の盛り付けも豪華。店員の態度も必要以上に高級感を演出するところが多い。しかし、その味は見かけ倒しが多い。大阪は入り口はチンケでも味よし、人よし、値段よしの三拍子が揃う。東京は外見を大事にし、大阪は中身で勝負のような差を感じてしまうのです。
東京人は関西人の泥臭くて、まとわりつくような言葉を嫌い、関西人は東京のいかにも軽薄でキザな言葉に不快感を覚えると罵る。どちらの言葉にもいい味わいがあるし、文化も面白い。
それにしても、これほど文化の違いが正反対というのが、1番面白いことだと思います。日本で1番北の北海道と南の沖縄を比べても、仲が悪いと言われる県同士を比べても、ここまでハッキリした対比にはなりません。お互いに大都会であるから、「将軍のお膝元」と「天下の台所」だからこそ、「こっちが1番」という対抗意識を持つのかも。
しかし、お互いにいい所を認め、改めて行く心の広さ。これからはそれが求められる時代です。日本人同士でお互いを、文化の差を認められないようでは、日本人もいつか、海外のいろいろな国のように、人々が分断されてしまうかも知れません。