日本基督教団 高幡教会
(住所:東京都日野市三沢4-2-3)
(住所:東京都日野市三沢4-2-3)
私は小学5年生のとき、千葉の習志野台から東京の日野市に引っ越した。そこは典型的な「ベッドタウン」だったが、近代的な団地の街並み(?)を見慣れた目には、東京の郊外というよりも「ど田舎」のように映った。その頃の日野市は急速に宅地開発が進んでいたが、まだ多摩丘陵の緑は濃く、豊かな水田も広がっていた。そして、京王線の高幡不動(たかはたふどう)駅周辺には、「関東三大不動」と称される高幡不動尊金剛寺(真言宗智山派)があり、千百有余年の法灯を守っていた。
小学生時代の私は頻繁に高幡不動尊周辺の商店街に出没していたものだ。ジュピター模型、難波書店、古本の高幡文雅堂、レコード店のBOXなどがあった頃を懐かしく思い出す。1968年、この名刹の門前にプロテスタントの高幡教会(日本基督教団)が創立。当時の教団総会が「新開拓伝道適地」として選定し、高幡不動駅前に小さな伝道所が開設された(ほぼ同時期にカトリック高幡教会も創立)。日野市の人口急増に伴い、手狭になった伝道所は高幡不動尊参道の雑居ビルに移転。
1977年、高幡教会は駅から徒歩数分の現在地に移転、新しい会堂と牧師館を建設した(1982年増改築)。小中学生時代の私は「地元の教会」という微かな認識はあったが(しかも、それは人生初のプロテスタント教会だった)、高幡教会へ行ったことは一度もなかった。そこで、教会巡りをするオトナになった私は、今回初めて「地元の教会」を訪ねることにした。ある日曜の午後、アポ無しで闖入する私を迎えた牧師先生は、やや当惑されたご様子・・・。だから、次回は主日礼拝に参列してみよう。
会堂内観(1977年竣工/1982年増改築)
我が母校、東京都日野市立日野第八小学校
(住所:東京都日野市三沢200)
◆主な参考文献など:
・「高幡教会二十周年記念誌」 二十周年記念誌編集委員会編(日本基督教団高幡教会・1988年)
「射祷とはその名の示す如く、矢を射るような短いけれど力強い祈りであって、多くは贖宥(しょくゆう)が付いている」(1964年版『公教会祈祷文』より)。最近は「射祷って何?」という人々が少なくないのでしょうね。
困難に遭った時、私は「イエズス、マリア、ヨゼフ」の御名を繰り返しお唱えします。これはカトリック信徒だった亡き祖父から伝授された射祷なのです。それにしても、仏教のお経は音楽的な響きとリズムがあって、何となく「門前の小僧」でもつぶやきたくなるのは不思議ですね。
日野市の三沢に住んでいらしたのですね。私の実家はそのお隣りの地区にあります。高幡不動尊(金剛寺)はそこから徒歩10数分ほどで行けます。子どもの頃から毎朝6時の鐘の音、御護摩の太鼓などに親しんできました。「門前の小僧、習わぬ経を読む」で、私も何となく「のーまく・さんまんだー・・・」と不動明王御真言をお唱えすることができます(笑)。
高幡不動尊の山道を散策したのも懐かしいです。