霊屋橋から広瀬川を望む
(宮城県仙台市青葉区)
(宮城県仙台市青葉区)
東日本大震災の発生から6日目を迎えた。今も余震と原発の恐怖が続いている。この期に及んで、見苦しいパフォーマンスを繰り返す菅直人首相について、今は何も言うまい。また、計画停電によって、多摩地域の医療・福祉施設が深刻な影響を蒙る一方、都心の高級料理店やパチンコ店などは煌々と営業する「地域格差」も耐えよう。私には買い占めなどの行動を慎むことしかできないが、被災された多くの方々が一刻も早く救われることを切に祈りたい。
昨年の夏、私は仙台を訪れた。青空の下、広瀬川を渡る東北新幹線の車窓から、杜の都が見えてきた。市営バスに乗り、霊屋(おたまや)橋のたもとで降りた。目の前に伊達正宗の霊廟がある瑞鳳殿の山が迫り、広瀬川の渓谷が両翼に続いている。「青葉城恋唄」の調べが思い浮かぶ。この広瀬川に臨む崖の上に、閑静な住宅地が広がっている。かつて、私の亡き祖父母はここに住んでいた。築70年以上はあろうか、戦前に建てられた旧宅が今も残っている。
当時、祖父は東北帝国大学の助教授だった。片平のキャンパスを歩くと、祖父も教壇に立ったであろう、旧法文学部2号館などの古い校舎も残っている。大学正門から徒歩数分のところに、祖父母が暮らした旧宅がある。広瀬川を眼下に見るこの家で、私の母は生まれた。家は増改築されたが、戦前の面影がよく残されている。今回の大震災で、祖父母、母、そして私の「心の故郷・仙台」が苦しんでいる。広瀬川の清流が思い出され、現在の惨状に胸が痛む。
東北大学片平キャンパス正門
(宮城県仙台市青葉区片平2-1-1)
“主よ、教えてください。わたし自身も苦しむことを、人と共に苦しむことを。”
ラウル・フォレロー
◆主な参考文献など:
「歴史のなかの東北大学 大学と学生の一世紀」 東北大学史料館編(東北大学史料館・2009年)