【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「孤高のメス」:森下五丁目バス停付近の会話

2010-06-09 | ★業10系統(新橋~業平橋)

きょうもまた、救急車が町を走っていく・・・。
無事に治療を受けられるといいわね。
しかし、医療現場には大きな問題が山積しているからな。
うん。「孤高のメス」なんか観ちゃうといっそう強く感じちゃう。
成島出監督の「孤高のメス」は、地域医療に身を捧げた医師の物語。
ちょっとでも危ない患者は大学病院へ送ってしまおうとする日和見な医師たちの中で、それでは間に合わない患者はここで手術すると宣言する市民病院の優秀な外科医。
なんていうと、偉い人の話かと思っちゃうけど、本人は演歌を愛する、ちょっと変わった医師に過ぎない。
そして、ちょっと腕が立つ医師に過ぎない。
手の届かない“先生様”になりそうな高潔な人物を、堤真一が等身大の演技で庶民側に引きつける好演をしている。
地方の市民病院の汚れ具合、先端医療とはほど遠いだろう手術室の寂れたたたずまいがリアリティをもたらす。
その中で何度か映し出される手術シーンも、実際に手術室の中ではこういうことが起こっているんだろうなあ、と実感させる自然さがある。
ひとりよがりなところのない丁寧な演出が、描写に過不足のない日本映画を生んだ。
そして、いつもながらの余貴美子。
最初は近所のおばちゃんとしてひょろっと現れたのに、終わってしまえば、映画全体のテーマにかかわる重要人物を演じていた。
やや強引になりかけた映画の展開を、彼女の説得力ある演技が救ったところもある。
病院の屋上で堤真一に心情を語るシーンは、実はこの映画のいちばの山場よね。
奇をてらうことなく、堅実に、堅実に描写を重ねてきた映画が、この重大なシーンでは思い切って深い霧を背景に選ぶことで、不安と希望が交錯する名シーンになった。
霧の中の風景・・・。
このシーンを転機に、地道な医師の物語が、当時はまだ認められていなかった脳死患者からの肝臓移植の話へと拡大していく。
それを見守る看護師の夏川結衣の視点から語るというのも、センセーショナルな描写は避けようとするこの映画にはぴったりな選択肢だった。
彼女は、医師としての堤真一を尊敬しているだけで色恋沙汰にはならなんだけど、一か所「私は都はるみが大好きです」と告げるシーンがある。あれは、「荒野の決闘」で、ヘンリー・フォンダが「私はクレメンタインという名前が大好きです」と告げるシーンをほうふつとさせて、慎み深い感情がほとばしる名シーンだった。
なんか、あなたに言わせると名シーンばっかりじゃない。
そりゃあ、映画史に残るような傑作とは言わないけど、あくまで物語に奉仕する中で最善の演出を考えていこうという、実はあたりまえのはずの姿勢に感心しちゃうわけよ。ふらふらした映画が多い中で、こういう映画こそが、これからの日本映画の水準になるべきだと俺は感じるぜ。
そして、こういう医師がこれからの日本の水準になったらすばらしいわね。
俺たちには、あの救急車に乗っている人の無事を願うことくらいしかできないけどな。







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2 コメント

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こんばんは (Kei)
2010-06-17 01:45:59
私も、「荒野の決闘」を思い出しましたので、勝手にこちらの記事、引用させていただきました。すみません。
他にも、西部劇の要素がいくつか盛り込まれていると思います。
社会派テーマを持ちながら、痛快エンタティンメントとしても楽しめる、稀有な力作ですね。

>こういう映画こそが、これからの日本映画の水準になるべきだと俺は感じるぜ。
本当にそう思います。成島監督、今後が楽しみですね。
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■Keiさんへ (ジョー)
2010-06-20 19:02:20
そういえば、ふらりとヒーローがやってきて問題を解決して去っていくって、典型的な西部劇の構造でしたね。日本映画ももっと昔の映画を勉強したほうがいいってことかもしれません。
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