【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「息もできない」:IHI前バス停付近の会話

2010-04-14 | ★業10系統(新橋~業平橋)

IHIって、何の略か知ってるか。
以前も聞かれたような気がするけど、IHIねえ・・・。イヒ?
そんなわけないだろ。
イヒじゃあないのか。イヒではない・・・イヒもできない・・・息もできない。
って、「息もできない」につなげたいわけ?そりゃ、苦しすぎるだろ。
苦しくて息もできない・・・。
まあ、たしかに苦しくて息もできないような映画ではあったな、韓国映画の「息もできない」は。
家庭に問題を抱えるチンピラやくざと女子高生が偶然出会って心を通わす物語。
なんて説明すると、やわな恋愛映画かと思われちゃうかもしれないけど、実際は、息もできないくらい悲痛で救いのない話だ。
やくざな男と女子高生って、韓国映画の代名詞みたいな組み合わせで、しかも、韓国映画お得意の暴力シーン満載とくれば「またですか」っていう感じなんだけど、これがどうして、これまでの韓国映画の枠を壊しちゃうみたいなすさまじい勢いがある。
暴力が、単なる肉体的暴力を越えて、暴力を振るう側の人間のどうしようもない心の叫びにまで昇華され、ぎりぎりと胸をえぐってくる。
登場人物は、そういう形でしか表現しかできないほど痛ましい悲惨を抱えている。
まさしく息ができない。
そんな状況の中、夜の川辺でふっと交わされる孤独な男女の魂。
愛でも恋でもなく、ボロボロに荒みきった心の通い合い。
暴力でしか自分の思いを表現できなかった男がふと見せる弱みと、気丈にふるまう少女の底のない悲しみ。震えるほどの名場面よね。
それで彼らの心が癒されるのかというと、そうは問屋が卸さない。いよいよ、破滅が待っている。
これでもか、これでもか、って攻めてくるのが韓国映画の本領だからね。
チェイサー」とか「母なる証明」あたりの韓国映画を観ていれば、ことは単純には運ばないってことは容易に想像できる。
うん。ラストも一筋縄ではいかない終わり方で、「チェイサー」、「母なる証明」に連なる傑作サスペンスがまた一本でき上がったっていう感じよね。
しかも、人間ドラマの部分が濃い。
ヒリヒリとやけどするくらい濃い。
なんか、こういう映画群を観ていると、映画としてはものすごい力量を感じるけど、一方で韓国って相当、鬱屈した国なんだなあっていうマイナスの印象を持ってしまったりもする。
韓国に対して、案外、偏った見方を持っちゃうかもね。
“IHI”を“イヒ”って読んでしまうような勘違い?
じゃあ、なんて読むの?
アイ・エイチ・アイ。
そのまんまかい。




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