【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「別離」

2012-05-08 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)


アスガー・ファルハディ監督のイラン映画。
ポランスキー監督の「おとなのけんか」のイラン版だな。
全然違うと思うけど。
二組の夫婦がささいなことから言い争いになってみんながそれぞれのエゴを出し始めて話がどんどんこじれていく。まさしく「おとなのけんか」に通じる展開じゃないか。
おとなのけんか」と「別離」じゃ、争いの原因も深刻度もまったく違うわよ。
でも、冒頭で言ってるぜ。「些細な問題だ。夫婦の間で解決しろ」って。
わかってないわね。些細な問題が些細じゃないのが夫婦の問題なのよ。
だからってここまで深刻ぶらなくてもいいんじゃないか。第三者から見れば「おとなのけんか」みたいにどうでもいいような問題だから。
と~んでもない。どうでもいいようなような問題じゃないわ。娘の教育の問題とか親の介護の問題とか失業問題とか、日本人の私たちが見てもひとごととは思えない深刻な問題よ。
それらがからみあってどんどん話がねじれていく。そのあたりの呼吸はみごとなもんだ。
イラン映画といえば、ついテロや政治的なメッセージのからんだ映画かと思うけど、これはごく平凡な市井の人々の話。国も人種も違っても、私たちと同じような問題で悩んでいるんだっていうことがよ~くわかる。
離婚してまでも国を出たいっていう理由がイランならではの事情といえるかもしれない。
その上、信仰の問題がからんでくる。
まるで踏み絵のような展開で事態がクライマックスを迎える。
普遍的な部分と国情による違いと、そのバランスが絶妙な刺激を与えるのでアカデミー外国語映画賞を獲ったのかもしれないわね。
親たちの右往左往を不安な面持ちで眺めている娘の視線がまた痛い。
親を助けたい、一緒に暮らしたいという一心から出る言動。
嘘と真実の狭間で揺れる二組の夫婦、親子。
おとなのけんか」とは相当視点が違うでしょ。
おとなのけんか」だってシリアスにすればこんな感じになるんじゃないか。
そこは、ひねくれた成熟社会の映画とまだまだ新興国のスレてない映画との違いかしら。
どちらも痛々しいのに変わりはないけど。
父親の腰かける椅子、母親の腰かける椅子。その距離感がなんとも悲しくってね。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿