Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ラザレフ/日本フィル

2015年10月20日 | 音楽
 日本フィル首席指揮者としての任期があと1年となったラザレフ。その最後のシーズンが始まった。まずは横浜定期から。プログラムにはブラームス、リストそしてボロディンが並んだ。

 一見脈絡のないプログラミングに見えるが、じつはブラームスとリストはラザレフが横浜定期でよく取り上げていた作曲家だ。ブラームスもリストも、それぞれ違う意味合いではあるが、ラザレフの一面によく合う作曲家だと思う。ブラームスはそのメロディーで、リストはその構築力で、それぞれラザレフの音楽性に触れるのではないだろうか。

 1曲目はブラームスの「大学祝典序曲」。今までのブラームスの交響曲の演奏を思い起こさせるようなバランスの取れたアンサンブルだ。時々ラザレフの演奏を‘爆演’と評する人がいるが、どうしてそう感じるのだろうと思うほど。この「大学祝典序曲」などは、虚心に聴けば、流麗な感じさえする演奏だった。

 今までラザレフのブラームスを聴きながら、往年のヴァイオリンの大家オイストラフのブラームスを想い出すことがあった。今回もまたそうだった。

 2曲目はリストのピアノ協奏曲第1番。ピアノ独奏は小川典子。小川典子のピアノはいつもクールで切れ味がいいが、今回はリストだったからだろうか、轟々とピアノを鳴らしていた。ヨーロッパの第一線で活躍するだけあって、パワーにも欠けていないことがよく分かった。もっともリスト特有のこってりした甘さはなかった。それでいいと思った。それでこそ小川典子だ。

 3曲目はボロディンの交響曲第2番。1曲目のブラームスからそうだったが、ボロディンになると、オーケストラはさらによく鳴った。ラザレフの豪快さも増した。しかもアンサンブルは崩れない。ロシア情緒が漂う。でも、そこに耽溺しない。全体に漂う空気感のような情緒だ。

 ラザレフには「決定的な名演をするのだ」という意気込みが感じられた。演奏にはそれが大事なのだとつくづく思った。日常的なレベルを超えた「決定的な名演」。指揮者のその本気さが聴衆に伝わるのだ。

 アンコールにハチャトゥリアンの「ガイーヌ」から「レズギンカ」が演奏された。会場は大いに沸いた。結構なことだが、正直にいうと、小太鼓のリズムで途中に猛烈な連符(あれは何連符だろうか)が打ち込まれる箇所が、少しぎこちなく感じられた。
(2015.10.17.横浜みなとみらいホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする