Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ラインの黄金

2015年10月15日 | 音楽
 新国立劇場の今シーズンの予定が発表されたとき、「ラインの黄金」がレンタルのプロダクションンであることを知って、激しい脱力感におそわれた。予算が乏しいのかもしれないが、だからといって、新たなリングのチクルスをレンタルで済ませる劇場側の姿勢に、どうしようもない虚脱感をおぼえた。

 そんな気持ちを引きずって迎えた「ラインの黄金」だが、劇場の椅子にすわれば気持ちはリセットされる。さて、どんな舞台だろうと、虚心にその舞台を見つめた。

 序奏が始まる。世界の始原を描いたとされる音楽が、空回りしている感じだ。なにも語らない。この音楽のこんな演奏は初めてだ。意味のない演奏が目の前を通り過ぎる。ラインの娘たちの三重唱に移行した後も、さっぱりテンションが上がらない。そんな演奏が第1場から第2場にかけて続いた。正直いって、今後「ワルキューレ」以下を聴く気が萎えた。

 演奏に動きが出たのは第3場に入ってからだ。テンポが若干早くなったのが功を奏したのかもしれないが、なんといっても、ヴォータンのユッカ・ラジライネン、ローゲのステファン・グールド、アルベリヒのトーマス・ガゼリ、ミーメのアンドレアス・コンラッドの4人の歌手たちが密度の濃いドラマを展開した。

 やっとオペラらしくなったと思った。さて、第4場はと期待したが、元に戻った。意気消沈して舞台を見ているうちに、幕切れの神々のヴァルハル城への入場になった。舞台奥に抽象的な光の塔が現れた。淡い色の光が乱反射する。美しい光の演出。この舞台で唯一感心した場面だった。

 要約になるが、飯守泰次郎の指揮には精彩がなかった。どうしたのだろう。「ワルキューレ」では持ち直すのだろうか。

 歌手は悪くなかった。とくに前述の4人は実力十分。世界のどこに行っても通用するレベルだ。他の歌手ではエルダのクリスタ・マイヤーに感心した。第4場でちょっと出てくるだけの役だが、実力ある歌手でないと、説得力がない。マイヤーはその点で十分な実力があった。

 ゲッツ・フリードリヒの演出については、今さらなにをいうことがあるだろうか。歴史に残る名演出家であることはいうまでもないが、なにしろ20年ほど前のこの演出に、現代との接点を見出すことは困難だ。しかも妙に薄味の今回の舞台は、フリードリヒ演出の原形をどれだけ留めているのか、頼りない感じが否めなかった。
(2015.10.14.新国立劇場)
コメント (2)
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