Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

下野竜也/読響

2015年10月14日 | 音楽
 下野竜也指揮読響のたいへん興味深いプログラム。1曲目はベートーヴェンの序曲「コリオラン」。大編成のオーケストラから引き締まった音が出る。ストレートな表現。このコンビの充実ぶりが窺える。

 2曲目はヒンデミットのヴィオラ協奏曲「白鳥を焼く男」。ヴィオラ独奏は読響ソロ・ヴィオラ奏者の鈴木康浩。冒頭のソロからヴィオラがよく鳴る。豊かで柔らかい音だ。ぐっと惹きこまれた。

 ヴィオラとオーケストラとがしっくり合っている。お互いに出過ぎない。今まで聴いてきたこの曲の演奏は、ヴィオラ主導型だったかもしれないと、そう思うほど両者がかみ合っている。この曲のトータルな音像がよくつかめた。

 柴辻純子氏のプログラム・ノーツを読んで、あァ、そうだったかと思ったが、この曲の作曲時期は1935年、フルトヴェングラーをはじめ当時のドイツ音楽界を揺るがした‘ヒンデミット事件’の直後だ。ヒンデミットとナチスとの緊張関係がピークに達した時期。その影を探そうとしたが、見つからなかった。のどかな民謡が支配的だ。もしかすると歌詞にはなにか示唆的なものがあるかもしれない。でも、わたしは歌詞を知らないまま今に至ってしまった。反省。

 3曲目はジョン・アダムズ(1947‐)の「ハルモニーレーレ(和声学)」(1985)。ジョン・アダムズの代表作の一つだ。全3楽章からなるこの曲の第1楽章では、細かいリズム音型が延々と続き、それが途絶えたと思うと、息の長い旋律が出てくる。そのとき1曲目の「コリオラン」序曲を想い出した。あの曲も、考えてみると、第1主題は(ベートーヴェンにしては)デジタル的なリズムが続き、第2主題は息の長い旋律が歌われる。両曲の対比も計算の内だったろうか。

 それにしても、一晩のコンサートで最後の曲がジョン・アダムズだと、コンサート全体のイメージがガラッと変わる。斬新な、今まで経験したことがないような新感覚のコンサートになる。ちょっと興奮した。

 演奏は、こういってはなんだが、‘体育会系’の演奏だった。わたしはこの曲には光の粒子が飛び散るような明るい音のイメージがあったが、光の代わりに汗が飛び散るような大熱演だった。アメリカ西海岸のスマートさはなかったかもしれない。でも、それでいいじゃないか、というのが正直な気持ちだ。聴衆とオーケストラと指揮者との一体感があったから。終演後の拍手も熱かった。
(2015.10.13.サントリーホール)
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