Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

シェイクスピア「リチャード二世」

2020年10月14日 | 演劇
 新国立劇場で「リチャード二世」が上演中だ。2009年の「ヘンリー六世」に始まるシェイクスピアの歴史劇シリーズの最終演目。上演順は「ヘンリー六世」三部作、「リチャード三世」(2012年)、「ヘンリー四世」二部作(2016年)、「ヘンリー五世」(2018年)と続いた。今回の「リチャード二世」は全8部の歴史劇の端緒となる出来事を描いている。その作品が最後に上演されたことで、2009年以来続いた歴史劇のすべてがスタート地点から照射されるような感覚になった。

 そしてもう一つ、最終演目がこの作品でよかったと思う点は、この作品が終幕に向かうにつれてどんどん内省的になるからだ。リチャード二世は愚かな王だったかもしれないが(プログラムに掲載された神奈川大学名誉教授の石井実樹子氏のエッセイ「愚王リチャード二世はエリザベス一世?――なまなましい政治劇」によると、「リチャード二世の失策のなかで、何よりも国民の怒りをかったのは「お友だち内閣」である。」とのこと)、そのリチャード二世が退位を余儀なくされるにおよんで、「王」ではない自分の無力さ、人間としての無内容さ、そして人々の非情さに目覚める。その過程が歴史劇全8部の白眉のように感じられた。

 上記の石井実樹子氏のエッセイで論じられているように、本作は「なまなましい政治劇」だ。寵臣を厚遇して高官に引き上げる「お友だち内閣」。フェイクニュース。側近による忖度。内政の混乱から国民の目を背けるための戦争の開始(本作では十字軍の遠征)。いずれもいまの日本の(あるいは世界の)寓意のようだ。それがいまから400年余りも前に書かれたことをどう考えたらいいのだろう。

 そんなリアルな問題と、権力者の没落――没落によってはじめて人間性に目覚める――その敗北のドラマの内面性、それらの二重の要素が本作を特別なものにする。

 リチャード二世を演じたのは岡本健一、リチャード二世に退位を迫る(面と向かって退位を迫るのではなく、自分の財産と地位の回復を求めるだけなのだが、それがリチャード二世の退位につながることを十分に心得ている)ボリングブルック役に浦井健治、リチャード二世の王妃役に中嶋朋子。これらの人々は「ヘンリー六世」以来の顔ぶれだ。その他、脇を固める役者たちも常連の方々。最終シーンですべての役者が舞台に現れたとき、それは「リチャード二世」の閉幕というよりも、11年間にわたるシェイクスピアの歴史劇シリーズの閉幕のように見えた。

 当シリーズをけん引したのは演出の鵜山仁だ。本作でも個々の役者の持ち味をよく引き出し、全体の流れを生んでいた。
(2020.10.13.新国立劇場中劇場)

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