Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

新国立劇場「尺には尺を」&「終わりよければすべてよし」

2023年10月29日 | 演劇
 新国立劇場で開催中の「尺には尺を」と「終わりよければすべてよし」の交互上演は大成功のように見える。2009年の「ヘンリー六世」三部作から始まったシェイクスピアの史劇シリーズが完結して、それで終わりかと思ったら、意表を突く“問題作”への転進。その意外性と史劇シリーズのスタッフ・キャストの再結集に惹かれた。

 わたしは両作品とも以前戯曲を読んだことがある。そのときは奇妙な作品だと思った。なるほど喜劇とも悲劇ともつかない“問題作”だといわれるゆえんだと。だが舞台上演を観て、印象はだいぶ変わった。「尺には尺を」は創作力が高まった時期のシェイクスピアにふさわしい力作だと思った。一方、「終わりよければすべてよし」も同時期の作品だが、これはパワハラあり、セクハラあり、ストーカー行為ありのまるで現代劇だと思った。

 交互上演なのでことさらに両作品を対比するのだろうが、「尺には尺を」(以下「尺」)の登場人物たちは劇の進行とともに変化する。たとえば厳格・高潔だったはずの登場人物が自分の弱さ・醜さに気付き、うろたえる。一方、「終わりよければすべてよし」(以下「終わり」)の登場人物たちは変化しない。たとえば軽薄だった登場人物は、そのために罰せられても、まだ軽薄だ。

 結論的には、両作品とも“問題作”と力んで観る必要はないのではないかと思った。まっさらな状態で観て十分に楽しめる作品だ。戯曲を読んだときには強引に思えた両作品の幕切れだが、舞台で観ると感動した。案外、戯曲のリアリズムと舞台のリアリズムは違うのかもしれない。

 小川絵梨子芸術監督は、両作品はシェイクスピアには珍しい「その物語を牽引する中心的人物として女性が描かれている」作品だという(プログラムに掲載された言葉より)。目から鱗が落ちる思いがした。シェイクスピアには印象的な女性が多々登場するので、あまり意識しなかったが、たしかに女性が主人公の作品は他にないかもしれない。「終わり」のヘレナはひたすら自分の意志を貫徹する。「尺」のイザベラは変装した公爵に操られる面がある。描き方は多様だ。

 ヘレナを演じた中嶋朋子は名演だ。みずみずしい透明感がある。癖のある役柄なので、別の役者が演じればヘレナ像も変わるだろう。そのときは作品の印象も変わるかもしれない。イザベラを演じたソニンは、厳格・高潔だったはずのアンジェロを動揺させ、ひいてはドラマを操る公爵まで動揺させる魅力的な女性として説得力がある。アンジェロを演じた岡本健一は、持ち前の男の色気を発揮した。ヘレナが追いかけるバートラムを演じた浦井健治は、軽薄な役柄だが、憎めないものを感じさせた。「ヘンリー六世」以来の立川三貴、吉村直、木下浩之、那須佐代子、勝部演之、小長谷勝彦らのベテラン勢はさすがに味がある。

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